習うより慣れろ

ブログを書くタイミングを見いだせないでいた。べっ甲色の眼鏡を買ったり、ポケモンGOをやったりしていた。あと、アニメも見たりした。リライトとRe:ゼロから始める異世界生活にはまったりした。書いてしまえば、そう時間を掛けることでもないようにも一見思える。べっ甲眼鏡を買った数か月は浮かれた気分で過ごした。眼鏡のフレームの角度調整に何度も通った。こめかみが締め付けられる痛さで数週間過ごした。べっ甲色眼鏡を2本買ったから、こういった計算になる。

庭の水遣り回数を減らす為に、鉢植えでオリーブやローレル、ユーカリ、ローズマリーを買わなきゃと思い込んでいた時期もあった。移動可能なシンボルツリーと言い換えてもいい。苗を買ったまでなので、まだそこまでは成長していない。なので、今度は5号鉢に植え付けている苗をいくつか買った。支柱が添えてあるものもあった。支柱は私には理解を超えた範疇の知識で、支柱が必要イコール徒長していると判断している。ひょろ長かったんで、剪定で倒れない高さまで調整した。

スタンダード仕立てのローズマリーを買ったり、同じ仕立てのオリーブを買ったりまで発展した。ハーブの苗をどう育てたらいいのか、良い剪定とはどういったものか、お手本が欲しかったから、5千円前後の樹木を買う必要があるように判断した。

眼鏡の診断書を作りに行った際に、視力が下がっていることが判明した。頭にタオルを巻いて炎天下作業している作業員を見掛ける。こういった形の頭に巻き付けるものを、庭作業の額の汗止めで愛用していたが、これでは駄目だと考えた。直射日光で視力の低下を招く。ワークキャップを探していた時期もあった。結果いいものを見つけた。ワークキャップは頭頂部が安定していないので、凹みが目立ちやすい。人間の頭の形に沿ってない。これを気にしないで被れる帽子を探すのに躍起だった時期がある。昔の町工場のおっさんが被っていたようなガチのワークキャップが見つかった。

今回は何に気を持っていかれているかというと、Windows 10の起動がおかしい。Boot Menuからでないと、正常にOSが起動しない。WordPressが上手く扱えない。アンドロイドで撮った写真をツイッターなどにアップロードする準備も整ってない。イグジフ情報が自動で削除されるそうだが、自分でコントロールしたい。

後は、金銭面と健康面特に食事の面、咀嚼の際の歯や歯茎減退も問題解決に向けて時間と金銭を割いている。

話が飛躍するのかもしれないが、私は普通の人が好きだ。ウォーレン・バフェットは普通の人だと思う。こんな上記のような散漫な活動していると、特に大した金銭の支出がないように他人には思われるかもしれない。ガーデニングを辞めて、株式資産に投資すれば、と思わないこともない。単元未満株をドルコスト法で買い貯めるにしても、実際に投資した額の何割か増しには増やせる自信がある。リスクヘッジとは金融業界の用語だが、リスクヘッジという器用貧乏そのものの手法を人生で採択しなくとも、得意なことを伸ばした方が人生の為のような気がする。

再び話が飛躍するのかもしれないが、私は習うより慣れろの姿勢が自分に合った方法だと、確信している。環境を整える。身近に植物を置いてみる。家の中まではまだ行き届いてないが、植物の好きなところは、ハーブはいい匂いするし、花は蝶や大中小の蜂や虻類や糸トンボが集まるし、オリーブの樹形は15㎝から30㎝程度の苗にしろ癒される。

自分が何を望んでるか

http://photozou.jp/photo/top/3007863

とりあえず、2015年4月に撮った写真が最近アップロードした最後で、それで更新してないようだが、私の育てた花たちのアルバム。ブログのヘッダーにサルビアネモローサスノーヒルの画像を表示したいと思ったのだが、いまいちワードプレスの操作が分かってない。プロフィールも更新したいと思ったのだが、何処にリンクが表示されてるのかすら分からない。デフォルトで放っているから、非表示になっているのか? 更新すれば表示されるのか?すら分かってない。

もっとワードプレスを積極的に触って行かなくてはならない。時間を少しでも割いて、そのことを考え続ければ、いつかは長い道のりであろうと、自分の手足のように扱えるのだろう。ガーデニングの方は、自分の思い通りに事が運んでるようには思えない。だが、この取り組みに精神的余裕が生まれたように確信している。ただ、何品種か現在花が咲いている、それだけで精神的な猶予は生まれる。

アネモネが今の冬の時期にはいいらしい。そう聞いて、試しに植えてみた。確かにゴージャスに咲いてくれる。そう確信して、枯れ枝が目立って広がりすぎたサルビアネモローサスノーヒルを極限まで切り詰めてみた。そうして作った余地に、6株八重咲きアネモネホワイト品種を植えつけてみた。暖地にしては珍しく雪が降った次の日、昨日のことだ。苗を植えつけるのに、慎重に慎重を期した。そんなに数は多くないが、苗の植え付け方が悪くて枯らしたことがある。

しかし、微妙に失敗したなと思ったことは何度もある。元々、土壌が粘土質の場所に植えつけるからだろう。タイミング的に雨の日の次の日に、ことにあたる時など最悪だ。苗を斜めに植えつけてしまった、浅く植えてしまった、深く植えてしまった、微妙に失敗する。まず、ポットから出して根をほぐさないのも悪いのかもしれない。

冬はどうしても枯れてしまう。そういうものだ、という割り切りもある。枯らしてしまった苗、その後には、土質が改善されているような気がする。ただ、栄養が抜けてしまって、さらさらになっているだけかもしれないが。扱い易くなるのは確か。

自然風ガーデンを目指しているのだと思う。その観点から、八重咲きアネモネは少々あざとい感じもする。

ネットアイドルみたいな人の写真とかコスプレイヤーの写真を最近見た。東京の下町の家の前に置いてる鉢植えとか写ってて、こんな狭いスペースで緑豊かに演出できるとは、そんな新鮮な発見があった。近所で見ることができるのは、パンジー咲いてるな位の退屈な風景。パンジー鉢植えで楽しもうとプランターで楽しもうと壁面に差し込もうとハンギングしようと、それはそれで自由だ。コスト面と手間と掛ける時間からそれがガーデニングを楽しむベストなのだろう。

自然風ガーデン、有機無農薬農法、レンガとかで縁取らない、支柱を使わず植物の力を信じる、蝶が常にひらひら舞ってる、自分の身体を鍛える筋トレ柔軟な筋力を養う、それらが目的で私はガーデニングをする。自分が何を望んでるか、成果が見えない時は、それに立ち返る。

夏のガーデニングはつらかった。

夏のガーデニングはつらかった。品種は今は名前を忘れてしまったが、ビオララブラドリカもそうだが、たぶん、同じような原種系ビオラが食害の被害くらった。園芸品種のビオラは秋から春まで咲くので人気品種で、どこでも見かけるのだが、このような葉を食い尽くされた上に、枯れて弱って溶けて無くなるか、茎しか残らない場面で花期が終わりを迎えるものなのかどうか、知らない。

園芸品種は蝶も寄ってこない偽者のイメージがあるので敬遠している。虫が集まってくると、ガーデニングの敵ではあるが、それも含めて自然を楽しみたい。

あと悩みは、手が届かない場所に植えた苗の花殻摘みや切戻しは、どうしているのだろうということ。同じく、手が届かない場所に植えて、株間に雑草や一年草やガウラなど、成長の早い植物に、多年草の成長スピードの遅さゆえ、意図した植物が大きく育たない、日陰に追いやられ、日照不足で溶けて無くなって行く。それらの対処方が全く見えてこない。

雑草を肥料に活用しようとしたこともあったが、量的に活用が難しい。西部劇の回転草は球形だが、それの硬い枝が自由に出た状態で、圧縮しようにも収集がつかない。焼いて草木灰にするのが正解なんだろうが。狭い場所であるので、堆肥置き場を作る場所も焼く場所もない。バーク堆肥を買って、粘土質の土壌改善を何年か試みてるが、金銭的につらい。

金銭的につらいと言えば、株式取引で自分年金!みたいなことにも興味があるので、米国株ばかり調べていた時期もあった。それに気をとられ、ブログへのアウトプットが、期間がこのように空いてしまった。チポトレとかシェイクシャックとかテスラモーターズとかアンバレラとかゴープロとか、世界観が広がった気がする。グーグルとかアマゾンとか高値すぎて、興味本位でも手が出ない。米国株は手数料が掛かりすぎなので、私の様な、月一万円捻出して宝くじ買う感覚で取り組んで、利益が出るとは思えない。米国株で話題になる、50年配当額を増配し続けている起業の株でも買い続ければ別かもしれないが、私自身新し物好きな性格なので、それではセクシーさに欠けると思う。

今日はこの辺にしておこう。夏のガーデニングのテーマで抜け落ちた部分があるので、捕捉しておきたい。基本的に水遣りしか出来ない。日差しが強すぎて、体力も知力も活動時間も短くなってしまう。つまり、基本的に水遣りしかできない。ガーデニングで誰でもやる基本作業なんだが、水遣りが一番難しい。一点集中で根元にかけると、鉢植えでも庭植えでも、地表に穴が開いて、根の成長が阻害される。かといって、雨のように花にもシャワー状に水遣りしてしまうと、それで花が枯れてしまう品種が多い。葉に水が掛かってしまうと葉色が悪くなってしまう。結論としては、強いシャワー状にして、圧力分散して根元に直接水遣りするのが一番なのでは、と思う。正しい水遣りからも程遠い気がする。夏で多くを枯らした。水を充分に遣ってる筈が少なかった、逆に多すぎた、の原因による。冬場も同じように、二方向のベクトルで鉢植えを何種類も枯らしてしまった。

仕掛け花火みたいな花壇

一つの多年草、一つの苗を大きく育てよう、そんなイメージでガーデニングに取り組んだが、やはり、にぎやかな庭がいいと思い直し、たくさんの苗を植えつけた。苗を植え付けてみて分かったのは、土壌を念入りに耕したつもりだったが、死角があったようで、まだまだ、土壌が雨に当たりすぎて砂地化している部分と、水捌けが悪すぎて苔が生えてくる部分と、両極端であるということ。

すぐそことそこの一メートルにも満たない場所で、そんなことが起こっている。また、同じような範囲内で、日当たりがよく、植物の育ちがいい場所、土壌の水捌けが悪く、成長が苔に阻害されている場所も、狭い範囲内で起こる。念入りに耕して、攪拌したつもりだったのに。

とにかく、いろいろ目にするものがすべて初めての現象。知識や感覚として知ってることは人より多く持ってるつもりだが、自分のスタイルに拘りすぎというか、心が狭いというか、もっと大らかにガーデニングに取り組むことが今後の自分への課題。

無制限に手を加えるガーデニングをスローガンに掲げているのを読んでくださっている方には、薄々にでもお分かりだと思う。しかし、その労力の掛け方を、別の方面へシフトして行こうと思う。雑草を一つ残らず抜く、みたいなのは止めようと思う。何よりも、近視みたいに目の筋肉が硬くなるし、自分の表情も険しくなる。もっと、楽しい方向で目一杯労力を惜しまない方向へ、自分を導こうと思う。

とはいっても、一度雑草抜きはリセット出来たか、とは思う。今の季節はスギナがぐんぐん目を出してくるし、近隣の畑から緑肥みたいな植物の種や、近隣公園からクローバーの種やらが飛んでくる。隣との境界から、椿の種やら、ブルーベリーの種とか、ツワブキの種とか流れ込んでくる。とにかく、根が張っていれば、他から流れてきた種子の植物が、存在感をまし、居座るようになることもないだろう。

何を気にしているかというと、こぼれ種を信用できない、自分が望んでいる発芽かどうか判断できない、その経験が乏しい、ということと、今は、ラベンダーとイベリスだが、その株の隙間から、雑草が生えて、自分的に違和感がある。去年、ガウラで経験したが、株の隙間から、ツユクサが生えて、統一感に掛けて、みっともない印象が拭えなかった。

ツユクサが大型化して、手を差し込んで抜けるようなるまで放置だった。それは、ガウラからツユクサが生えている違和感があるだけで済んだが、株が死滅するまで、蝶の幼虫に食い尽くされたラブラドリカという事件もあった。

話がまとまらないが、こぼれ種。ラブラドリカもすいぶん、種がこぼれた、花も咲き誇ったはずなんだが、少ししか救えなかった。こぼれ種からの発芽を大き目の鉢に植え替えた為、枯らしたものもある。ラブラドリカと判別可能な前の段階で、雑草と認定して抜いたことも多くあったと思う。

このブログでも紹介した、最初にガーデニングをこれから始めようとポピー、マザーオブパールの種を撒いたが、発芽を諦めて、別の種を撒いたが、結局ポピーが優勢の花壇を作った失敗。そのポピーがまた猛威を振るっているようだ。そのように、種を撒かなくても、植物が全盛期を過ぎた頃に芽吹きだし、完全に枯れる頃にその花が咲き始める、そういった仕掛け花火みたいな花壇や庭、そういうのに成功したと思える瞬間もあるのだが。

美意識と幸福

人並みの幸福とか、人並みに幸福になりたい、とか考える。孤独を感じるとか、老人介護とか、住む家の問題とか、最低賃金労働しているとか、重圧を感じる。プレッシャーから解放されたい、と逆のことを考える、幸福について。

ストレスを感じているから、ストレスから解放される方法を考える。短期的に、長期的に、即席で、その3パターンについて考えてみる。だが、どうでもいい。孤独は強みでしかない。自分という人間一人しかいない世界。孤独を生かして他人とかかわる。しかし、その強みも最大限に活用しようとも思わない。

今の状態が不幸なのだろうか。幸福と快楽を混同していないだろうか。すでに手元にある幸福が大きすぎて、もしくは、日常風景みたいに、食卓の醤油差しみたいに当たり前に風景に映り込んでいるのかもしれない。だとしたら、調味料を常備できない人生は不幸か、持たざる者は不幸なのか、今持っているものがすでに宝物なのか。退屈すぎて気づかない
だけなのか?

だとしたら、日常の退屈なものをありがたがったり、感謝すれば幸福になれるのだろうか。退屈なものをより素敵に演出する、とは、今ある生活を無理なく楽しもう、ということだろうか?

手間が多く掛かっているものについても考える。千人針とか千羽鶴とかでもいいが、多くの人を頼らず、一人の力でひとつずつ積み重ねていく祈りのようなもの。膨大な時間を掛けて繊細に編み込まれた大きな手織り布のようなものをイメージする。

美意識とか手間が掛かりすぎる為に市場に流通しないもの、にしか価値を認めない為に私は収入が少ないのだ、という結論に至る。

スリット鉢の扱いが難しい。

このクソ寒い中、ネットで苗物をたくさん買いすぎた。寒すぎる。休日はそればかり植えつけていた。庭に植えつけるのは簡単なんだが、鉢物に仕立てる場合、クソ疲弊する。スリット鉢に植えつけると、下のスリット部分から土壌流失する。かなりふちの部分の土を指で丸鉢を廻しながらきつめに押し込む。

その手法で押し込みすぎて、去年の今頃やっていた失敗は、買った苗のポットの土の形状のまま、根が発育しない、そのまま枯れてく、そんな失敗で買った苗をいくつもダメにした。

微塵を抜くみたいな土作りもしらなくて、土の粒子が細かいほどに良質な土だとの思い込みから、微塵だけを使用して鉢物を作ってた経緯もある。

それから、バットグアノを追肥したら、鉢内の土が柔らかくなりすぎて、同じく土壌流失という失敗もある。それは手間が掛かるという意味で失敗で、その鉢の苗は元気に発育して行った。

土がそのようにさらさらにならないことで、逆に苗が育たないこともある。鉢内のガッチガチになろうがなんだろうが、堅強に育って行く植物もあるが、そんな鉢はうどん粉病になったり、花が咲く前から枯れて行ったりする。そういう失敗もしたし、そのままダメにして全く枯らしてしまった鉢もある。

しかし、そういうのは、根はしっかり育っている。花を咲かせる養分が足りないだけで。切戻しや、大きい鉢に植え替えることで、再び大きく花を咲かせることが経験から分かった。だが、しかし、ここでまた、鉢物を作るのは難しいと、振り出しへと戻される。どうしても、スリットから土が流れ出してしまう。

そこで、軽石とか炭とか混ぜ込んだ用土も買い込んだりした。それはそれで、また悩みは尽きない。確かに土壌流失しないが、植物によっては、発育不良で枯れていったり、なりより、水遣りの回数が格段に増やさなければ、鉢が乾きすぎて枯れて、ダメになったものも多い。

そのように、苗を鉢に仕立てても、すぐに発育不良で枯らしたり、水切れ枯らせたりの連続で、少しも豊かな植物ライフが送れてない現状。うどん粉病に掛かりやすい植物も、切戻しして、寂しい印象の鉢物しか持ててない。クリサンセマムやベルガモットだけが今残っているのだが、全く上手く育てられないし、面倒だからといって、再度芽吹いているから捨てるに捨てられない。

軽石で作られた用土は、鉢が軽々移動できるから、楽には楽なんだが、葉が茂って巨大化するにしたがって、風で煽れて倒れまくる。

それから他に、鉢に仕立てて失敗した経験は、風で茎が横倒しになり、それも味かと思って、そのまま育てていたはいいが、切戻しをどうしようか悩んだあげく、土際で切戻ししてしてしまった為に、根が死んでしまった経験もある。

庭植えも鉢植えも、環境との相性かとは思う。それから、私自身の性格との相性もあるのだろう。庭植えのユーパトリウムの雪が積もったような咲き誇り様は、この世の桃源郷かと思ったほど、絶景だったが、咲かせるのに半年以上掛かった。花期を二期程逃した印象がある。しかも、冬期落葉種だからか、地上部が全く枯れてしまっている。

そんなこんなで、上手く植物が育てられているのか何なのか、暗中模索の真っ最中にしか、いつも自分の立ち位置が見出せない。

幻想的な風景を探し求めて

一時間くらい時間を作って、ブログを書こうと思う。夏は一時間から一時間半は水遣りに時間が掛かって、結構時間が圧迫された。生活についても、植物を育てることに関しても。苗を毎週ネットで最近は買っている。秋になって、販売品種が大幅に増えた。夏は苗物の販売品目が減少する。

今の時期になって、ポーチュラカが今後どう変化してくのか、気になっている。太陽が出ている間しか、花が開かない。夏の花だと思う。秋まではいけそうな雰囲気だが、やはり、ゴージャス感が秋や台風のせいで減ってきたように思う。2株植えつけただけで、横に大きく広がって行った。下方にも垂れ下がっている。花壇のコンクリートやブロックを隠すように、下垂れする植物は、他に替えがたい美しさがある。しかし、手仕舞いの時期が見えてくると、花壇の大半を多い尽くした事実が大きくのしかかる。

一番大きいところは、また、一からやり直しか、みたいな虚無感。やはり、こぼれ種で株を更新して行く方向が楽でいい。こぼれ種を嫌って、発芽しても全て、はさみ状の草抜き道具で排除してた。大本の株を充実させる為だ、と思って一所懸命だった。ポーチュラカの前に植えていた、ビオララブラドリカのことだが、これも花壇を全て多い尽くす勢いで育って行ったのだが、オレンジと黒のブチの蝶が花に何匹も群がるようになって、それはそれで、幻想的な風景だった。それを自分が作り出したかと思うと、人生で成してきたことの何よりも美しい業績に思えた。

それまでは良かったのだが、芋虫が大量発生し、葉を全て食べつくされた上に、株が死んでしまった。こぼれ種はそのままにしておくべき、勉強になった。まだ、雑草とこぼれ種の分別がついていないという課題もある。

ポーチュラカは夏に優秀な品種であろうが、夜には花が閉じてしまうので、夜の時間帯の花壇がしょぼくなる。だから、これを花壇に使っている人はあまりいないようだ。逆に、それが素晴らしい、という見方もある。とにかく、花壇に園芸品種ばかり植えると一見豪華に見えるが、そんなのばかり植えていたら、明らかに不自然だ。ラブラドリカは、地味だが見るものを引き込む美しさがある。

ラブラドリカとかカラーリーフを見すぎたせいで、普通の葉っぱで真冬も常緑の品種の方が美しいのではないか、との結論にも達する時もある。とにかく、庭木を嫌って、庭を一見、葉レタス畑みたいな真冬の庭に作り込む、みたいな方法論もありだと思う。

昔の人は、職人が技術力を競い合って祭りだみたいな気概があったと思うけど、形骸化した庭木だらけの全く面白みの無い、手入れが楽な庭とか、私の真逆の境地だと思う。

全盛期と成長余地のバランス

ガーデニングはいろいろ悩みが尽きない。近所の住民がごちゃごちゃ噂話してるのがクソ腹立つ。それは悩みに含めないような方向へシフトしようとしつつあるが、植物は思ったように育たない。まず、スリット鉢の使い方が難しい。

水遣りも難しい。さらに、スリット鉢への水遣りがさらに難しい。スリット鉢は主な真下に伸びる太い一本の根が全く出来ず、細い根が鉢全体を埋め尽くす、それが主な目的の器具のようだ。鉢の中の土成分が極度に不足していく。栄養も水も足りなく速度が異様に早い。それでもスリット鉢に上手く育ってくれてる植物もある。枯らしてしまうことも多い。枯らしてしまう方が多い気もする。

スリット鉢の土の扱いが難しい。薫炭みたいな米のもみがらを燻製にしたようなのとかバットグアノとか、何も植えてない場所を設けて、肥料を何度も混ぜ込んだり、かくはんしたりしたら粘土質だった庭土がさらさらになってくのが分かるのだが、雨が降るとガチガチに固まるので、毎日かくはんしている。それを繰り返し、扱いやすい土作りには成功しているかと思われる。それをステンレスのふるいでふるって、スリット鉢に入れているのだが、やはり雨が降った後の数日間は、水分が多すぎて、この土で鉢植えは難しい。

適度に乾いた土を常備できれば、また私流のガーデニングもよりよいものになるはず、そんな問題点を抱えている。もう少し目が粗いふるいを買った方がいいのかもしれないし、そもそもふるいをかけずに、そのまま扱った方が上手く行くのかもしれない。とにかく、スリット鉢はスリットの部分から土壌が流出させてしまうことが多い。乾燥気味の土で望めたら、ギッチギチに鉢に詰め込み、流出させることもない。こともない。やはり、一月程で土質が変化して、さらさらになるようで、スリットから流れ出てしまう。

スリット鉢で鉢植えを楽しむ。楽しんでいる訳でもない。必要に迫られてやっている。人の足の踏み場を変える目的、猫の侵入を防ぐ目的、その2点が主な必要性の理由。

花壇にカレンデュラを植えたら、過密に生育しすぎて、うどんこ病にかかった。カレンデュラ・ネオンと、矮性のカレンデュラも結局同じ目にあった。いろいろ試行錯誤した後、時期尚早だったかな、とは思ったが、全て抜いた。今度は苗を買ってきて、最大110センチメートルくらいの株間を設けた。ネットで買って、届いてびっくりまだ幼い苗だったので、花壇が寂しい。

まだ、途中までしか試したことは無いが、先ほど書いた試行錯誤でも行ったが、一年草でも、種を作らないように、花が終わったら切戻しするば、繰り返し茎の下部から芽吹くようだ。それが本当に次のシーズンに花を咲かすのかは、まだ実体験していない。それに、花殻摘みみたいのをこまめに行うように、とどの解説書にも書いてあるのだが、あまりに咲きすぎるとどうにも収集付かなくなる。花期が終わってから対処する他無い。

反対に、松葉菊は選定する必要なし、水遣りも肥料も必要ない、と、どの解説書にも書かれているが、やはり花期が終わったら、乱れた形を整えると、こんもり厚みが増して、盛り上がった感じに咲いてくれて、どこの松葉菊よりも今ゴージャスに咲き誇っている。選定した部分から分岐して、地肌を密に覆ってくれるようだ。ただ一本で横に伸びていくだけの、松葉菊なんて植えている価値もないと思う。

花壇だけでなく、庭にも植えているが、こちらも品種に反してシルバーリーフになってしまっている。うどん粉病をこれだけ目にする機会があったので、シルバーリーフの植物が美しいとは思えなくなった。どちらにしろ、ラムズイヤーみたいな雑草もよく目にするし、シルバーリーフやラムズイヤーに美しさを特別感じない。

確かに、種子を作らないように剪定してたときは、花が大輪で咲いてて美しい庭だったが、収集が付かなくなる。生け花が趣味とかだったら、適度に間引くことも出来て、その都度しっかりした花が付く状態が続くのかもしれない。しかし、ガーデニングは私にとって、地面から俺に向けて贈られた花束、だというただ一点の信条のもとに頑張っていることなので、とはいっても、生け花の知識が多少あれば、また自分流のガーデニングも変わってくるのかもしれない。

しかし、こういった方向性も見えてきた。今までは株間が狭すぎた。そのベクトルとはまった別の方向性かもしれないが、雑草が伸び放題の放置された空き地。自分が植えた植物が、自分の庭に根付いて生き生きと育つ様。どちらにしろ、サイクルがあって、最後には処分にしなくてはいけない事。カレンデュラも、今思い返せば、全盛期が短い。全盛期に全て抜いて処分していまった罪悪感があったが、成長余地を見越してなかったから、そんな雰囲気になっただけで、それはそれで正しい判断だったように思う。

俺のガーデニングがみなぎってきた。

2月末の寒い日に植え替えを行ったのが酷い出来、なのをさっき確認した。去年の確か梅雨頃に蒔いた種。5号鉢に蒔いたスカビオサの種が大株に成長したのを、手で3分割とかに何も考えずに割って、これは2度目のことだが、あまりに寒くてかなりテキトーな感じでやって、縦方向に分割したのは、まだ何も考える必要もなかったのは、同じ月の別の日にやって成功したので、雑なやり方でも上手く機能したのだろうとは思う。初めての株分けは、かなり慎重かつ丁寧に行って、2度目は物凄い気が抜けた感じで、疲れ切っていた。2月の一年で一番寒い時期に園芸なんてやるもんじゃない。かなり疲れ切っていた。

とにかく、2度目は思いっきり気が抜けてて、雑に根をブチブチ千切って、前回は決してやろうとは思わなかった、根を減らしてみようと、根の下半分を捨てて見たりした。太い中心の根、みたいのを前回は感じられなかったが、それを露出してみようと思ったのかもしれない。結局、太い根は全く見当たらなかった。そして、雑な感じで3分割して3つの鉢に植え替えたが、一つは何か7割方程度、葉の色艶が悪い。

11月頃から3度に分けてポット苗を10数株程度楽天で購入してみたんだけど、花壇に植えつけたものもあるが、基本スリット鉢に植え替えて、植え替えた直後、葉の周囲が茶色に汚く腐った感じになって、これは見栄えが悪い、外に出せないな、と思っていたが、結局、植え替えた直後は下葉が汚くなって、大きさは特に変わらないとは思うが、脱皮みたいに一皮剥けて株が更新し出す特徴が、植物の植え替えにはある、ということを感覚で知った。

園芸の教科書的な基本技術を学ばず、人間が道具を見て感覚的に使い方を知る技術と、人間が道具の使い方を知らずに道具を使っていて、この使い方を方が効率が良いと、段階的に学んでいく技術というような、本能に問い掛ける園芸を私は目指している。アニメを見ていると、料理を作ると必ず魔女釜状態の料理を作る女の子が登場するが、あれだって、何らかの洗練や自己の味覚を追求すれば、何らかの素晴らしい創造物が出来上がるのではないか、そんな期待を勝手ながら抱いている。そんな園芸を私は目指している。

イングリッシュガーデンをネットのアマゾン書店でチラ見した感じ、やはり通路とかは芝生使ってるみたいだし、私は芝生というものが全く受け入れられない。自宅の庭がゴルフ場みたいな芝生が生えているなんて、全く美しくない。まあ、今日みたいな雨上がりの後、土が露出した庭を歩くと、靴に泥がこびり付いてなかなか取れないし、玄関まで泥だらけにしてしまう。芝生は便利なツールだろうなとは思う。他人の庭を見ていると、農業に従事した経験のあるご両親と三世代で生活しているのかなみたいな普通の家で、庭が畑っぽい家をよく見かけもするが、畝を丁寧に作って野菜を育ててるのを見ると、コレを自分も再現したいと、それを理想に花畑を作ろうとしている。かなり、畝を丁寧に作っている、雑草の無い庭、マジ美しいと思う。長靴必須で長靴洗い場も必須だろうが、私の家にはそんなスペースないので、スニーカーで園芸してるが、そこらじゅうが雨の後の数日間、水を撒いた日、だいたい毎日そこらじゅう泥だらけ。不便かつ美しくない。

連作しすぎて、こんどの花壇に植えたカレンデュラ・ネオンが花の元気がない悩みがあって、胃痛の種があったが、何度かバットグアノを追加したら復活し出した手応え、取っ掛かりのようなものは何か掴んだ気がする。花付きが悪いものは剪定してみた。銀チタンの剪定バサミを3種類アマゾンで買った。カレンデュラ・ネオンのワードでフォト蔵で検索すれば、私の美しい花の写真を見ることができると思う。

幼稚園生くらいの年齢に見た昭和の花壇、普通のオレンジっぽいポピーとか、赤いガーベラとか、白いマーガレットとか、それの原風景があるので、そういった花壇を追求したいが、タキイ種苗のネットショップで、エンジェルヘヤーみたいなカクタス咲きジニアの種を注文して、俺の園芸が春蒔き種子の時期に時期に向けて、みなぎって来ている。まだ買い揃えたいもの的準備もあるが、プラグトレー用底面給水トレーとかそれに合った、プラグトレー/セルトレーも買ったし、初育苗野郎で俺は春を迎える。

俺のビオララブラドリカが満開。

この寒い中毎日草むしりして、近隣住人から毎日「無職だ無職だ」と指をさされる。ガーデニング愛好家に付き物の風物詩みたいな感じで諦めるしかないとは頭では思うが、そんなこんなで寒い中意地になって草むしりしている。とりあえず、今日はやっと小休止してブログを書こうと思った。とにかく、寒い。家の中でも寒い。身体の芯が温まらないと、寒い。夜働いてきたから寒い。働こうが、無職だろうが、ガーデニングは正しい。風物詩という言葉しか出てこなかったが、ガーデニングに入れ込みがちの人はみんな同じような謂れのない誹謗中傷されがちで、通過儀礼として受け入れるのみなのかもしれない。

猫の糞、人の足跡、風で隣の物が降ってくる。いろいろガーデニングの邪魔者がある。隣で除草剤をまいてるのも、クソだし、周辺のどこも洗車してたり、花を育てている真横でボール遊びとか敵が多い。

寒いから手も思うように動いてないと思う。花の育ちも悪い。場所によって冬は日が差しにくいようだ。春夏に太陽光線が当たるような場所には陽が差してこない。植物が育つ時期が到来だ、と思って秋蒔き種子をたくさん買ったが、結局雑草と分けることが出来なかった面が多かった。初めてガーデニング超初心者として秋という2大メインイベントを迎えた訳だが、雑草の勢いの方が強かった。春に蒔いた感じではそうでもなかった。蒔いた種が一律に発芽し、この規則的な発芽を守れば、やがて花が咲くのだな、という抜いてはいけない芽がちゃんと見えていた。秋は発芽しない種子が場所によって多いし、雑草と育てるべきものと同じ勢いで生えてくるので、見分けが困難だった。

春蒔き種子も成功した訳ではなかった。種を蒔きすぎて、お湯を限界まで張った湯船に浸かるように、それがスローモーションになって花壇で同じことが起きる。どんどん、植物が押し流されて横倒しになる。雑草を誤って育ててしまって、2メートル以上まで成長して、それがシーシェルコスモスだと思い込んでいたりした。グーグル検索したら全く違った。日本の雑草に詳しくなろうと思った。雑草抜きもその一環で、充分学ばせてくれる、自分の知識を成長させてくれる作業だと、私は考えている。

子供の頃別の地方で育った。私の子供の頃は70年代ぽい雰囲気が残っていたように思う。シャーレポピー畑で白いギターを持ったスナップショットみたいなジャケットのフォークアルバムとか日本のミュージシャンで出している人も多いような印象がある。それが60年代的なのか70年代的なのか、イギリスのアルバムでは60年代からジャンルによってはよくあるジャケ写なのか、その辺は断言できる知識を持ち合わせてないが。

日本の雑草の話だが、形は違うがスズランみたいな咲き方の花が鉢植えに咲いて、俺はここまで苦労して雑草を育てていたのか、とがっかりしたことがあるが、これはこれでありか、とも思ったが結局鉢の中の土を、土を盛ったところに勢いをつけて捨てた。

畝が細すぎて失敗も、初めての春に経験した。それで畝を極力太くしたが、そもそも畝を作ると、花を植える場所が狭くなる。雑草も捨てる必要があるのか、悩んだりもしている。畝に被せて、水遣りの回数を減らすのに役立てたり、土に返すことは出来ないのかと、常に自分のやっている方法は正しいのか、疑問が常に内に向いてくる。それもあって、聞こえみよがしに陰口を叩かれると、本当にいただけない。

度重なる台風と強風に花を何度も倒されて、さすがに、台風に倒された時は手の施しようがなかったので、まあ、台風が去った直後で支柱を立てれば助かったのだろうが、支柱を立てている美しい庭というものを見たことがない、という一念でそれは絶対的に拒否したい。ボーンズとかで見るスミソニアン博物館の薔薇の庭園も、支柱とか使ってる時期とかあるのかもしれない。非常にテレビ向きな感じなのだろうとも思う。イングリッシュガーデンとかも詳しくは知らないのに、あいつらの美しい庭は、風除けの植物は植えてても、支柱みたいな見苦しいものは絶対に使わない信念を持ってる、みたいに勝手に思い込んでいる俺がいる。

台風で抜いた花の根張りが弱かったので、肥料に拘り始め、株間も意識しようとしだし、いろいろ学ぶことはあった。それを自分のガーデニングに組み入れても、やはり、最後には失敗してしまう不安が先走る。不安感ばかりが募る俺のガーデニング。

種子から育てることに拘っていたが、いろいろ考えを変えるきっかけがあって、苗を買った。重大な転換点だった気もするが、思い出したら改めて書くつもりだ。うろおぼえだが、ビオララブラドリカが株間を大きく開けたので寂しい感じではあるが、一株だけ満開みたいに勢いづいてる。パンジーみたいなガサツで色合いも形も退屈な寄せ植えの大きなよくある西洋風のテラコッタ風足の高い丸い鉢を持ってる近隣から馬鹿にされているが、俺のビオララブラドリカは繊細で美しいセンスありまくりのチョイス。少し散歩して少し遠くの庭をみたら黒いパンジーの寄せ植えしてて、このセンスヤベーカッコイイとも思ったが、あそこは葬式かみたいに言われてる可能性あるなとも思った。ビオララブラドリカ!ビオララブラドリカ!みたいに言えば、誰でも簡単に真似できだろうが、これからどう花壇を作っていくかが、俺のオリジナリティーの課題だろうか。