妹モノライトノベルのヒロインみたいな女の子と手を繋いでバスキン・ロビンスまで出かけていって、アイス食べたい。

一応は消化しておきたいアニメのPC内容量が溜まっていく一方で、HDDがいっぱいいっぱいなので、まあ、とにかく、そのHDDギリギリの攻防戦、視聴して消して、新しいアニメを追加する、情報忙殺戦線のせいで、全く生きた心地がしない。仕事のある日は、全くアニメや海外ドラマを観ていない。休みの日でないと、内容に集中できないので、全く視聴が進まない。その隙間を埋める為、ライトノベルとかちびちび読もうかと思って買ったのだが、最初は妹モノのライトノベルから入門して、なんだこれ、と思ったけど、つまりは内容の薄さとかだけど、最後まで読んだら、これはスゲー文学の形だなと、売れている人気の理由が分かった。

『女子モテな妹と受難な俺』を2巻目まで読んだ訳だが、ペイジが最後の章に進むにつれ展開が白熱していくし、感動のラストみたいな大きな山場が用意されていて、それまでの何気ない日常が複線となっていて、全てがその一大イベントに帰結していく。『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』はまだ1巻目までしか読んでないが、何気ない日常が複線となって最終章で勃発するトラブルに深みを与えていくみたいな展開がなされていて、一冊読み終えると感動させられていて、とにかく、エンターテイメントとして楽しめる。ライトノベルは文字だけで構成されているのに、これは凄いことだと思うが、日本人はこういうのが昔から得意なのかもしれない。よく知らないけど、欧米の初期の新聞で連載されていた探偵小説とかもう少し時代は進んでサイエンスフィクションとか、大衆小説へのその時代の熱狂度をこの現在に花咲かせたのが、日本のライトノベルだろうか。

『女子モテな妹と受難な俺』のちょっとした感想だが、主人公が仏教に興味を持っているところとか、非国民という言葉が一度程度出てくるところとか、島田雅彦の青春小説みたいだ、と思ったけど、つまりはそれを物凄く薄く、ファッション的にアイテムとして扱っている安易な設定だなとか思った訳だが、つまりは、この主人公が仏教に持っている興味の度合いの本気度を疑って読んでいて、これはただの設定の一つで、主人公の性格をモノローグを抜きにして代弁する代表的なアイテムだとしか、安易な設定だとしか思えなかった。しかし、つまりは本気の度合いをチラつかせる最大の見せ場みたいのがあって、決め台詞みたいな落としどころがちゃんと用意されている。それまでは、弱い自分を保護するように仏教の知識をちりばめて自分を誤魔化しているのが、ちょっとしたトラップだな、と納得できる本気度が伺える。

とにかく、その先に挙げた3冊の次に、妹モノは辞めようと思って手を出した2冊が全然読み終わらないで放置されている。俺のライトノベル熱はすぐさま冷めた訳です。ライトノベルでは妹モノが大量生産されている的な言い方がネット上ではされているけど、つまりはアニメ化されたあれとかあれのことだろうけど、アニメで観たものを原作で最初から読み直すのもダルいんで、それには手を出さないとすると、妹モノなんかそんなに数多く出版されていないので読む本に困る事態になる。

この文章の冒頭部分を無駄な展開にしないように結論づけるとすると、つまりは、時代について行くだけで、私のような者は大変な時間や労力を取られるということだ。受け取る能力とアウトプットする能力は、全くの別物だなと。アウトプットする技術をゼロから積み重ねることも同時に学んで行かなければ、とは思うが、どう手を付けたらいいのか検討も付かない。結局、毎日何を考えているかといえば、じめじめする閉鎖空間を快適に過ごす為に、Sital Super SandalとかHEM プレシャスチャンダンとかHEM PRECIOUS MUSKとかサイババ ナグチャンパとか焚いている。結局はただただ、そういう毎日。そんな毎日なら、親しさのレベルはいろいろあろうが、めんどくさいからどうでもいいけど、とにかく、こんなに毎日暑いし、みんなアイス好きだろうから、31アイスクリームことバスキン・ロビンスにでも出かけてアイスでも食っている方が幸せな人生な気がする。

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魔法少女まどか☆マギカ

魔法少女まどか☆マギカ、最終話まで見た。泣けた。以下ネタばれになるので、今から見たい方は読まない方がいいかもしれないですし、どんなアニメなのか以下の情報を一通り知ってから実際に見るのも一興かもしれない。

巴 マミが比較的最初の方で一人だけポジティビティ溢れる魔法少女として、魔女と一人で正義の為に、誰にでもできる簡単なお仕事みたいな雰囲気でいつもにこにこしながら、大変そうな戦いを優雅に捌いていた。戦いの後には友達とケーキと紅茶を楽しみながら。そんな毎日だったけど、3話目とかにあっさりさくっと死んでしまう。

とにかく、美樹 さやかは「自分の願いを何でも一つ叶えられる権利と引き換えに、世界に世界に災厄を撒き散らす次々発生する魔女を退治する為に魔法少女になる運命を引き受けなければならない」そういうシステムに先に巻き込まれていってしまうが、鹿目 まどかの方は、9話目まで全く魔法少女になるということをうじうじ悩んで、自信なさそうな頼りない人物として描かれている。

そして、10話目では平行世界がいくつも出てきて、まどかは生き生きと魔法少女の役割を、マミという先輩魔法少女の元で、同じように軽やかに魔法少女の仕事をこなしている。9話目までは暁美 ほむらは、要所要所で突然現れては、だからお前には魔法少女の資格がないみたいに嫌味を言って、美味しい所を奪っていく役割だったのが、逆におどおどしていて、マミや他の魔法少女に無能力者みたいな扱いを受けている。

だがほむらには時間操作の能力がある為、世界の終わりのような巨大な力を持つ魔女に魔法少女仲間や世界が滅ぼされていくのが確定した瞬間に時間を巻き戻す。そしてどんどん知恵をつけていき、つまり、シナリオが分かっているので対処法を模索していく。そして、その世界の終わりを告げる魔女を仲間と協力して、自分もスキルを最大限に洗練させて、倒すことができたにしろ、世界が救われることはないことが分かってしまう。

そこから、何度も世界の終わりを回避しようとするが、もっと早い段階で魔法少女の末路が魔女だということが分かってしまう展開に魔法少女仲間が巻き込まれ、その魔女化した魔法少女を倒した後にマミは発狂して仲間を殺しに掛かる。自分も殺されると思った瞬間にまどかに助けられるほむら。その事件の後、時間を再び巻き戻したほむらは、まどかだけは本当の友達で、いつも私を助けてくれた、まどかだけは私が守る。そういう目的に集中するようになる。

そこからだんだん邪悪な手段が用いられるようになる。魔法少女への契約をそそのかすキュゥべえを惨殺する手段にでたりする。とにかく、まどかを魔法少女にしなければいい、という方向に考えがシフトしてき、まどかというかけがえのない友達を守る為には、私にはまどかを含め、どんな仲間もいらない自分でなんとかする、世界の終わりである「ワルプルギスの夜」を自分が背負い込むと決意する。そこで、ミステリアスな魔法少女ほむらが完成し、現在である第一話からの世界になる。

キュゥべえに「君は歴代の魔法少女より桁違いに凄い魔法少女になれるポテンシャルがある」みたいなことを言って勧誘され続けたまどかだが、あなたには魔法少女になる資格がないとほむらに言われ続けるは、自分には切実な叶えたい願いなんかないし私なんかほむらちゃんが言うように何の得意なこともない普通の少女だし、と精神的にへこみ続けるまどか。おかしな行動を取るキュゥべえに時間旅行者だと気づかれ、まどかにこんなにポテンシャルがある原因は君にある、と指摘されたことで、心が折れ、もう時間を巻き戻しまどかとの出会いをやり直す意味も目的も何にもない、時間操作できる自分が全ての災厄のだったことが確定する。

とにかく最後の最後で、ほむらちゃんの罪も全ての魔法少女の罪も私がすべて引き受ける、そのような願いで魔法少女となる道を選ぶまどか。

とにかく、私的に泣ける神アニメ。9話まで抑うつ的なストーリーでめんどくさいし単調だし説教くさいしもう見るの止めようかと思ったところで、10話目でいきなり世界観が開ける。ネットゲームをやっていると、職業が選べて、癒しタイプや遠距離攻撃の弓使いとか接近攻撃でも短剣使いの冒険家/盗賊タイプや騎士タイプや火や地や水や風を操る魔法攻撃タイプの職業が選べる。そのようなタイプの中の、まどかは弓使いだということが、やっと10話目で判明する。しかし、通常攻撃みたいな姿は一度や二度くらいしか魔法少女まどか☆マギカのアニメ内では拝めない。シークして探してみたけど、もしかしたら、「いきなり秘密がバレちゃったね。クラスのみんなには、ナイショだよ♪」のワンシーンくらいしかないと思う。

魔法少女まどか☆マギカは、まどかは全然魔法少女にならないし、魔法少女として全く描かれていない、魔法少女アニメ。キリスト教のことは私はよく知らないが、私たちの罪を背負ってキリストは死んだ、原罪を再解釈して成功しているアニメだと思う。そして同時に、どんなシミュレーション実験や状況実験をしても、絶対に信頼できる友達ということが分かる、という概念も面白い。とはいっても、ハリウッド映画で、同じ時間を繰り返し、最悪の結末を回避する為に、絶対的に信頼できる一人の人物にいろいろなアプローチを試みる、という手法は使い古された手法だ。とはいっても、それは運命の異性というのは存在するのか、という思考実験のようなものにSFの手法が加わった形だが、それが友達に置き換わったのが新しいと言えば新しい。

そして、このアニメではほむらが全力でまどかを見守っているせいで、まどかは魔法少女の仕事にありつけない、自信喪失が絶対的に約束された存在として描かれている。いわば、まどかは存在を奪われているせいで仕事に就くことも出来ない状況に嵌め込まれている。最近、ニートひきこもりアニメは多いけど、このアニメはその点を原罪という点から考えさせられる。生きている者は失敗し敗れていった者たちの業や呪いを背負って生きている、というような。

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「死んでしまえ!」と口走ってしまっても、私は生きて行ける。

友達とか親兄弟とかと大ゲンカしてつい捨て台詞として「お前なんか死んでしまえ!」とその場は別れてしまって、それが最後の会話となり、その人はもう帰ってこない。そういった事態があり得るから、人に対して決して「死んでしまえ!」などと気軽には口にしてはいけない。その後の人生、一生後悔して生きて行かなければならないのは、死ぬ程つらいことだから。

私ももう35歳になろうとしている。若い時のようには、身体の能力を過信することはできないことを、毎日否応なしに認識させられる。老化が始まっている年齢だし、無尽蔵のパワーも無意味には湧いてこない。

とにかく、結論として、お前は早く死ねと思うことは多々ある。友達とか親兄弟とか、何か心の絆を少なくとも一度は感じた相手や、同じ遺伝子を持っていて、生きる姿勢は受け入れなれなくてもどこか似たところがあるのは分かる、そんな相手に対しては死を願わない。出来る限り、病気や怪我の目に合わず、経済的にも多少上手く行って、本当に出来る限り長く生きてほしい。

本当に最近は心の底から思う。そして、最近は口論さえ資産となり得るなと、考えるようになった。憎むべき相手がいるとして、口論に応じず「お前は早く死ね」と一方的に罵倒すると心の負担が軽くなる。それをやる意味や、それを言ってしまったら自分の信用が失われるという問題は横においといても、ストレスを一方的にかけられる、奪われる一方で何も得るものがない関係を築きたがって締結しようとしてくる輩には、口汚く罵倒するとスッキリする。

罵倒しようと後悔しない程度の精神の強靭さは手に入った気がする。若いときのように、些細なことで時間を奪われたりするより、罵倒して関係を速やかに終わらせる手法もありといえばありだし、人生はいろいろな手を使って、自分や自分の内面を生き延びさせなければならない。人が調子付いていれば、自分は損を見る。自分が調子付いていれば、いわれのない恨みを買ったり、人間関係の力点や作用点が第三者に影響する形で揺らいできたり、その結果、仕事上の関係性も有限性の利益が自分に向いてくるという意味合いで微妙に揺らいできたりもする。

長々書こうと思ったがこの辺で切り上げるとすると、私は10歳以上若い人に最大限媚を売ることで生きているようなものだ。その親のような年齢の世代には深い憎しみがあるが。そして、その子供の世代もクソみたいに思ってもいる。両親や妻や夫に甘やかされ続けて生きてきた人生のような奴らで、こういう何世代にも渡って甘やかすシステムを維持している豊かなみたいなのが田舎には確かに存在している。とにかく、私が「死ねクソが!」と罵倒した対象が、次の日死んでたことが発覚しても、本当に後悔しないだろうし、その後の人生笑って過ごせる自信がある。

人生に参加するにはその程度の精神の強靭さだか感覚の鈍さは必要になってくる。自分がちょっと損をさせられていて、対象がちょっと得をする。その程度の信条では人生は機能してこない。対象の勢いを完全に削ぐ気で向かっていかないと、自分だけが反対に飲み込まれてしまう。自分が生き生き生きる為には、反対勢力を飲み込むぐらいの懐の深さがないと、人生目一杯生きれない。

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人生、御の字。

PCラベルプリンターだかネームランドだかテプラだかで総称されているものでネームラベルを打って、ジップロックコンテナだかを買い込んで、ラベルを張って上に重ねていく方式で部屋を整理整頓しようかなと思っている。深夜スーパーで買える容器とアマゾンで買えるラベルライターで手軽に整理整頓できないものかと。

最近アマゾンでいろいろ本を買い込んでみたものの、全く読んでないまま放置されている。一冊だけ読み進められているが、ライトノベルの書き方的な本で、こういう類の本は相性がいいみたいだ。インクスケープ攻略的な本やオープンオフィスを使いこなそう的なやつや、ゼロから始めるプログラミングっぽいやつとか、パラパラ(断片的な視点で)眺めてみるような読書スタイルのものは苦手だ。

昔は新人の現代小説家の作品を読んだりしてた。文藝とか群像とかに載るような作家の小説だろう。ライトノベルを読んだことは無いが、最近はライトノベル原作のアニメ化作品が増えてきたように思う。どちらかに分類すれば、ただアニメを見ているだけで、原作どうとかは全く分からない。映像にならなければ興味を持たないアニメの楽しみ方なので、原作とか作者の作風とか四コマ作品が元のアニメとか、よくは分からないし興味も無い。とにかく、このアニメよくべらべら喋るなー的な雰囲気をもって、ライトノベルが原作なんだろう的な判断で書いているんだが、まあ間違ってはいないだろう。

とにかく、ライトノベルを一冊試しにアマゾンで注文してみた。現代小説系も昔の興味から始めて、またそのジャンルを読み始めたいとも思っている。あと、70年代の横尾忠則のエッセイ集も昔好きだったので、再読してみたい。再読というより、何か人生に大きな隔たりを感じる。人生に大きなブランクがある。今後の人生もそのような長いスパンでの断続の内にあるのだろう。

何か人生が取り戻せそうな気がしてきた。そして、また、人生が途方も無い困難なものにも感じ始めてきた。仕事上の悩みだが、このせいで人生の活力が物凄く奪われているような気がする。

地道に生きているつもりだし、地道に努力する方だろうが、世の中理不尽な出来事はたくさん身に降りかかってくる。反対に俺ほどラッキーな人間はそういないだろうと思うことも多いのかもしれない。

アマゾンや楽天がないと成り立たないのだが、例えば前提があってのものだが、それプラス定収入があるおかげで、姪に千円程度だがぬいぐるみをたまに買い与えたり、そのように人の為にお金を使う大切さのようなものがある。大切さというのは曖昧すぎる表現だが、貯金も資産だろうが、それと全く同じ意味でお金を使うことも資産だと、そういう意見を述べているつもりだ。

とにかく、インプットする一方の人生だが、何かアウトプットできないものかと思う。それにはお金が物凄くかかる。それにどの方向性でお金を使っていいものか分からない。いろいろな方向性の書籍を買い込んでも、このように読まないまま積んでおく読み物と化している。といっても、いろいろお金を使っても、未使用のまま埃を被るままに任せてるというのは、人間の営みとして普通であろう。金銭的に試行錯誤して、10パーセントくらい実になって返ってくれば御の字というところが現実的な物の見方であろう。

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34歳の初オナホール。

今日やったことと言えば、Amazonで買った荷物をコンビニへ受け取りに行って、それから荷を開け、その買ったオナホールを初めて試してみた。私が中学生位の頃は確か、電動オナホールみたいなものが主流だったと思う。それで、オナホール使用にはコンドームが必須だとイメージがあったのか、それとも、Amazonで「オナホール」と検索するとコンドームが検索結果に含まれるせいか、とにかく、オナホールとコンドームはセットで使用が定石だと思い込んでいたせいで、とにかく、オナホール全く気持ちよくないなと一時間くらいなんとか射精に至ろうと何とかいろいろやってみたが、全くダメだったので、コンドームを外して使ったところ、1、2分以内で射精に至った。

コンドームを外す前に、もったいないので、何とか射精できないものかと頑張ったが、海外ドラマとかで、割礼された男性がオナニーするのに必須なアイテムだとほのめかす小道具の正式名称は忘れたがハンドゼリーのようなものがベッドサイドに置いてあるようなシーン、とにかく、それ的なオナニーをして射精する機会だと思い、ローションで手をベタベタにしながらいろいろやってみた。それに加え、アダルトビデオの手コキもののビデオの技を試してみたりしたが、全く気持ちよくないし、全く射精できない。足をピンと伸ばして高速で手を動かしてみても、腕の筋力の限界で何度やってもあとちょっとのところで射精には至らずじまい。

うすぴたを選択したのが間違いだったのかもしれない。突起がある箇所があって、コンドームが脱げ落ちにくい効果や女性が快楽を得られるような効果の両方を狙っているのだろうが、その部分だけゴワゴワしていて自分の男性器の方の感覚の伝わりを鈍らせているように感じたし、手で触ってもゴワゴワするし、Amazonで一番人気コンドームのようだが、こんなの女性に使って大丈夫なのだろうか? とも思ったが、童貞の俺には全く関係のない話だ。とにかく、コンドームをセックスの機会も無いのに買ってしまってお金を無駄にした感はあるが、コンドームを着ける練習くらいは経験としてしておいた方がいいのかもしれない。明らかに無駄な練習や経験ではあるし、コンドームオナニーも全くイケないというのに。

セックス出来る機会なんか一生訪れそうもないのに、いろいろ考える。それが高じてオナホールを買っってしまったようなものだが。「FJ.R モォ~娘」と「ビューティ」を買ったのだが、後は温感ローションとおもちゃ袋とジップロックイージージッパーとかボトルのベビーパウダーとコンドームと、いろいろ買った。お風呂場で中学生の頃はよくオナニーしたが、その経験から、精液をお湯で流すとグルテン状になって手に粘着物となって残って粘着が取れなくなると思うので、オナホールの後始末は水で洗浄したが、オナホレビューとかネットで読む限りはオナホールを使った後の掃除が大変そうだから、今まで買うのを控えていたし、その掃除を楽にする目的もあってコンドームを一緒に買ったのだと思う。とにかく、温水でなく水で洗い流した限りは、ボディソープも使ったが、洗浄が簡単でレビューで洗浄方法に物凄く拘っている人もいるような非貫通オナホを裏返して洗うような必要性が全く感じられなかった。

「ビューティ」の方は奥の突起が痛かったのですぐ止めたが、「FJ.R モォ~娘」は陰茎にフィットするなとは感じたが、とにかく、亀頭にも陰茎にも特に快感的な感覚が全く感じられなかった。ネットで言われている皮オナニーばかりやってきたが、皮を剥いた状態の皮の裏側血管が剥き出しの地帯は触ると敏感で、この部分をセックスではこすり付けるのかと思うと、不安というか、痛くないのかなといつも疑問だったが、その為に亀頭にはカリ首というかえし部分があるのだなと思った。釣り針や弓矢の先端のかえしのような。皮を剥いた血管剥き出しの部分が直接擦れる不安みたいな、男性器の機能はどうなっているのか、実地で経験してみたい、機能を試してみたい知的欲求からオナホを買ってみた訳だが、単に人肌恋しさ的なものもある。

それに、バイオロジカルクロックというのも私にもあるのを感じる。女性でいう出産適齢期という意味だと思うが、女性の場合はより敏感だろうが、私の場合は男性でもあるし、人並み以上に鈍感な方だろうと思う。

それと、中学生くらいの頃、能力的に読める本があまり見つからなくて、自己啓発書をよく読んだ。明確に分かりやすく力強く易しい漢字を比較的使っている単純な本なので、よく読んだ。お気に入りは遠藤周作の書いた自己啓発書系出版社から出ているようなエッセイだった。その中には必ず「必ずこれから先恋人が出来てセックスするんだから、そのとき射精できないと双方悲しむ事態になるから、オナニーは道具を使わずに手でしろ」的なことが書いてあった。その影響もある。

まだ一回だけだがオナホールを使ってみて思ったのが、ビーバーがダムを作るように、DNAにプログラムされているのだから、ちんぽをキツク握って皮オナニーしかしたことないオナニー人生で、初セックスで女性の膣はいつものオナニーに比べてゆるゆるだから射精に至らない童貞喪失とか、膣内射精障害とか、そんなこと考えずとも、早漏的に射精してしまうっぽい側の人種だな俺は、と思った。

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何かを自分なりに自分のペースで学んで、人生で自分が得意なことを増やしたい。

アニメや海外ドラマばかり観る毎日で、たぶん2004年頃から本格的にそんな生活に突入して、もう35歳になろうとしている。少し人生が進歩したといえば、無職の状態でそんな生活を送っていたのが、現在は2010年10月だと思う以降アルバイトしているので、多少は金銭的余裕がある。その始めてから半年くらいは、お金が全く無くて情けない気持ちだった。モニターが壊れたり、パソコンが壊れたり、生活用品を揃えたり、仕事着を揃えたりで、ものすごく出費がかさんだ。

とにかく、最低限外出して、外出先で清潔に快適に着心地の良いサイズが合った下着や上着を着て長時間過ごす、こんな誰でもやっているようなことすら、ものすごい出費だった。つまりは、部屋着しか持っていない状態だった。今ではその延長で、2万くらいしたG-SHOCKをつけて、一枚雪の日に自転車で滑って破れたので捨てたけどヒートテックを1500円くらいで7枚買ったり、5千円くらいの面テープの靴とか買って、快適に仕事をできる状態だな、と実感できる最終形態を作り上げることには、やっと成功できたと思う。もう過去ログを辿れない形にブログをしてしまったので改めて書くと、絶対に紐のある靴は履きたくないが、面テープ以外のタイプだと歩いたり走ったりするとフィット感が乏しくカパカパするから嫌だ、とにかく、面テープの靴しか履かないこだわりを持って、髪型も丸刈り以外にはしない、という自己ルールで生きてきた。

自己ルールというか、割り切ってというか。でも、最近ではまともな社会人アピールの為に、多少伸ばして多少ワックスをつける位はもしかしたら別にたいした手間ではないのかもしれないとも思い始めたが、当分はこのままで行こう、あまり考えたくない。丸刈りで面テープの靴を履いていると、頭の弱い人に見られることが多いし、印象で嫌われることも多いと思う。多いというようなあいまいな発言を避けるとするなら、正確には、外見的に、一部の人には物凄く嫌悪され、一部の人には物凄く好印象を持たれる。どちらにしろ、めんどうくさい。対外的印象も生活コストの内に換算すれば、コストが高いのかもしれない、と生活のコストカットの対象として考慮の余地はあるのかもしれない。

とにかく、私だから基本的な生活にお金がかかるのか、みんながみんなそうなのか、私がそんな出費を無駄だと認識しすぎなのか、なんなのか、どうもよくわからない。

基本的な生活。それがそもそも人によって違っているのだろう。交際費、急な出費、携帯電話にまつわる維持費、娯楽費、そういった普通の人がするようなことを捨てに掛かっている人生を選択しているというのに、そんな普通の人より坊主で面テープの男の生活費の方が金銭的コストが高いような気がする。

ここまでして無駄な生活コストを極限までカットしているのに、俺の方が苦労しているし、俺の方がお金が掛かっている、とあいまいな対象に向かって敵対心を抱いていることこそが、精神的及び金銭的コストが高いということだろう、結局は。

とにかく、慢性疲労のような人生を脱する為に、いろいろ試行錯誤した結果がそれだ。100円で買えるようなにんにくや無臭にんにくや、カフェイン錠や、快眠対策にお香を買ったり、そういう方面もいろいろ試行錯誤した。深夜スーパーで週一で生食用カット野菜や炒めるだけの味付けレバーやもつなど買ってきたり、自分が本当に食べたいものを食べるようにしている。

とにかく、ドリンク剤とかカフェイン錠とかにんにくとか、始めた数日は利くけど、続けているとたぶんどんどん内臓脂肪や栄養分が肝臓に溜まり機能が低下してくるように感じる。しかし、どうやったら自分をブーストできるだろうとはいつも考えている。まともに働いたことがないせいか、定期健康診断みたいなのを受けたことがないから、自分の体調のことがいまいち分からない。定期健康診断みたいのは、別に無料で受けようと思えば受けれるのだとは思う。市報を定期的に読んでいれば、定期健康診断とか予防接種みたいのは無償で定期受付しているように思う。

とにかく、アニメや海外ドラマを観る時間を減らす方向ではなく、目一杯観て、なおかつ、パソコンで絵を書いたり、音楽を作ったり、プログラミング入門的な本を買って読んだり、そういう時間を隙間に詰め込んで行く方向で、人生を楽しもうと思う。やっとそういう金銭的余裕が出て来たように思う。

頭痛が酷い、寒くて眠気が取れない、別のことが気になってアニメや海外ドラマの筋に集中できない、とかいろいろある。何かを自分なりに自分のペースで学んで、人生で自分が得意なことを増やしたい。

最近良かったこと、何かのブレイクスルー的出来事だと思ったのは、沈香のお香を初めて買ったことだ。白檀や蓮のお香を初めて嗅いだときも、そう思ったが、それ以上にインパクトが強かった。人がつけている香水を嗅いで、これはなんだろうかと思ったとき、ムスク系だとか、ロータス系だとか、サンダルウッド系だとか、ローズ系とか、それで分かるようになった。バブルガム系の香水の人とかいるけど、それに、シトラス系の人はかんべん願いたい系で悪臭にしか感じないけど、後は、バニラ系やグレープフルーツ系とか印象は良い匂いだけど、練り香水やソリッドパフュームをつけているのかもしれない。とにかく、疑問に思っていたのが、沈香が含まれる香水を愛用しているだろうと推定される人が、一番印象深い匂いだった。

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家メガネの時代だが、マイノリティ。

自分の時間を無駄に全力でドブに捨てているのは理解しているが、どうも海外ドラマやアニメを観て消費したい欲求を抑えることが出来ない。最近は逸れに加え、国内ドラマも選択肢としてありかなと思い始めた。うぬぼれ刑事を一気に全十一話を観終わったところだ。最初の方は仕事もあったので2、3日は2話ずつくらいで済ましたけど。他にも、バーン・ノーティス、シーズン3とか観ている途中だ。

眼鏡を通販で買おうと思っていろいろやっている。今掛けているのはナイロールフレームでレンズ幅が46mmのものだと思う。ネットで買ったのはレンズ幅が55mmのものでトータル5千円くらいだった。5年以上前に買った眼鏡の処方箋より近視が進んだにしては、眼鏡の出来上がりが酷いものだった。面倒な説明は省くが、レンズ幅が狭いものの方が、レンズを薄く見せることが可能のように思う。ネットでも店頭でも、レンズ幅46mm以下のものは探すのが大変そうだ。

もう一本注文したので、どういう仕上がりになるのか、実験してみている。今度は1万5千円くらい支払ったように思う。しかし、私のような強度近視では、ガラス製のレンズの方が薄く安く眼鏡を作ることが出来そうだとか、眼鏡のレンズを納得がいく薄さに仕上げる為にはレンズ代だけで2、3万以上は軽くかかりそうだとか、私の場合乱視も強いから特注みたいになって余計料金が取り寄せ価格としてかさむ、それらが今までネットで調べた結果分かった情報だ。

先に5千円で買った眼鏡は実用には程遠い酷いものだった。実際にかけると、目や顔の幅が小さくレンズに映り込むので、自分が近視だということで人生が情けないものとして現実に突きつけられた、精神的にショックな出来事だった。人より両目の幅が狭めなので、大きめのレンズが合わないのかもしれない。アニメ声優で眼鏡美人は何人かいるが、矢作紗友里さんは眼鏡が顔の一部状態でよく似合っている。デビュー当時の眼鏡をかけていない矢作紗友里さんとかYouTubeで検索して見たけど、眼鏡をかけた方が美人に見える。両目の距離が広めの方を、私との関連事項として検索して検証してみた成果がそれな訳だが、とにかく眼鏡をかけている人の大半が強度近視の人は少ないのかもしれない。

最近の若い人はわざとDr.スランプ アラレちゃんみたいな眼鏡をかけていて、それがオシャレに見えるけど、逆にガチでウェリントン形メガネをかけている人は目が小さく見え、鳥人間みたいな印象があるのも事実だ。

とにかく、眼鏡を買うのがほんとめんどくさいという話。いつもコンタクトっぽい人が目の調子が悪いとかでセルフレームのコンタクトレンズの処方箋とかで気軽に買える家眼鏡みたいなのかけてきたら何かいつもより美人でオシャレにみえるみたいなこともあるけど、私がコンタクトレンズ日常使いになっても、全くあり得ない話だな、と。

とにかく、眼鏡を買うという一見単純な作業ですら、私にとって人生が辛く重い道のり。それと、眼鏡の処方箋を貰うのに眼科に行ったのだが、そこで検眼してくれた20代前半くらいの看護婦さんがかわいく見えてしょうがなかった。レンズをとっかえひっかえしてくれるいつもの検査だけど、手首の内側が何か微妙にいい匂いがして、脳の芯がボーっとなった。かわいい、美人といっても、最近の普通の20代前半の女性はそんなものかもしれないが、もう私も30代半ばのおっさんだからか、その年代の女性がほとんど誰もが異常に美人に思える。

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アニメと海外ドラマばかり見ている

文章を書くのは久しぶりだ。お金と生活のことぐらいしか考えていない。単元未満株取引というのを始めた。3、4ヶ月位前からちまちまいろんな日本の株を小額ずつ買っている。楽天市場と営業所が比較的近所にあるヤマト運輸の組み合わせやアマゾンのコンビニ受け取りで生活用品を買うことくらいが趣味の毎日とも言える。後は、深夜スーパーで缶詰やレンジご飯を買ってきて、それを仕事先での弁当としている。

単純作業と雑務のようなバイトをしていて、週3日程度の勤務だが、仕事をしていると気が楽だ。気が紛れる。正社員から見ると、社会的に無職と同じ扱いだろうが、土日祝日休みの近所の奴らは本当に暇そうで楽そうな仕事で高給貰いやがってクソが、のような怒りを、まあそういうところからは意見を言える立場を手に入れた自己満足のような気位は誇りには思いつつ、ダークサイドには落ちないように気を付けてはいる。

アニメと海外ドラマばかり見ている毎日だが、つまりプライベートで友達も出来ないし、そんなことより何よりアニメや海外ドラマが好きだ。これはこれで豊かな人生だと思う。つまり何が言いたいのかと言えば、やはりよく分からないが、無趣味な人間に比べれば、高潔な気分を気取れると言いたいのかもしれない。無趣味な人間でも良い人もいるので、お前は馬鹿でクソで俺より価値が無い、というレバレッジを無理に利用する必要も無い。

別に何がしたいという訳でもないが、いろいろな試行錯誤を人生で楽しみたい為に、雑多な知識を吸収して、人生を豊かにしようとする努力しているし、私のような人間を魅力的だと思ってくれる人もいることが分かっただけでも、人生って楽しいなと思えるようになったのが、人生で大きな収穫とも言える。逆に、私が関心が持てないような人間からはクソのように嫌われる。

逆に言えば、自分が多少関心を持てば相手からも関心を持ってもらえるし、私が無関心な人間からは、自分を無視しやがってクソがみたいに思われる。

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