一応は消化しておきたいアニメのPC内容量が溜まっていく一方で、HDDがいっぱいいっぱいなので、まあ、とにかく、そのHDDギリギリの攻防戦、視聴して消して、新しいアニメを追加する、情報忙殺戦線のせいで、全く生きた心地がしない。仕事のある日は、全くアニメや海外ドラマを観ていない。休みの日でないと、内容に集中できないので、全く視聴が進まない。その隙間を埋める為、ライトノベルとかちびちび読もうかと思って買ったのだが、最初は妹モノのライトノベルから入門して、なんだこれ、と思ったけど、つまりは内容の薄さとかだけど、最後まで読んだら、これはスゲー文学の形だなと、売れている人気の理由が分かった。
『女子モテな妹と受難な俺』を2巻目まで読んだ訳だが、ペイジが最後の章に進むにつれ展開が白熱していくし、感動のラストみたいな大きな山場が用意されていて、それまでの何気ない日常が複線となっていて、全てがその一大イベントに帰結していく。『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』はまだ1巻目までしか読んでないが、何気ない日常が複線となって最終章で勃発するトラブルに深みを与えていくみたいな展開がなされていて、一冊読み終えると感動させられていて、とにかく、エンターテイメントとして楽しめる。ライトノベルは文字だけで構成されているのに、これは凄いことだと思うが、日本人はこういうのが昔から得意なのかもしれない。よく知らないけど、欧米の初期の新聞で連載されていた探偵小説とかもう少し時代は進んでサイエンスフィクションとか、大衆小説へのその時代の熱狂度をこの現在に花咲かせたのが、日本のライトノベルだろうか。
『女子モテな妹と受難な俺』のちょっとした感想だが、主人公が仏教に興味を持っているところとか、非国民という言葉が一度程度出てくるところとか、島田雅彦の青春小説みたいだ、と思ったけど、つまりはそれを物凄く薄く、ファッション的にアイテムとして扱っている安易な設定だなとか思った訳だが、つまりは、この主人公が仏教に持っている興味の度合いの本気度を疑って読んでいて、これはただの設定の一つで、主人公の性格をモノローグを抜きにして代弁する代表的なアイテムだとしか、安易な設定だとしか思えなかった。しかし、つまりは本気の度合いをチラつかせる最大の見せ場みたいのがあって、決め台詞みたいな落としどころがちゃんと用意されている。それまでは、弱い自分を保護するように仏教の知識をちりばめて自分を誤魔化しているのが、ちょっとしたトラップだな、と納得できる本気度が伺える。
とにかく、その先に挙げた3冊の次に、妹モノは辞めようと思って手を出した2冊が全然読み終わらないで放置されている。俺のライトノベル熱はすぐさま冷めた訳です。ライトノベルでは妹モノが大量生産されている的な言い方がネット上ではされているけど、つまりはアニメ化されたあれとかあれのことだろうけど、アニメで観たものを原作で最初から読み直すのもダルいんで、それには手を出さないとすると、妹モノなんかそんなに数多く出版されていないので読む本に困る事態になる。
この文章の冒頭部分を無駄な展開にしないように結論づけるとすると、つまりは、時代について行くだけで、私のような者は大変な時間や労力を取られるということだ。受け取る能力とアウトプットする能力は、全くの別物だなと。アウトプットする技術をゼロから積み重ねることも同時に学んで行かなければ、とは思うが、どう手を付けたらいいのか検討も付かない。結局、毎日何を考えているかといえば、じめじめする閉鎖空間を快適に過ごす為に、Sital Super SandalとかHEM プレシャスチャンダンとかHEM PRECIOUS MUSKとかサイババ ナグチャンパとか焚いている。結局はただただ、そういう毎日。そんな毎日なら、親しさのレベルはいろいろあろうが、めんどくさいからどうでもいいけど、とにかく、こんなに毎日暑いし、みんなアイス好きだろうから、31アイスクリームことバスキン・ロビンスにでも出かけてアイスでも食っている方が幸せな人生な気がする。