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ブログ運営と社会性

ブログ投稿を数日サボったので何を話題にして書いたら良いのか分からなくなったし、怖気づいている。季節の変わり目らしく、温度差の激しい気温(室温)の日が続くので私も風邪を引いたらしい。頭痛と吐き気に悩まされたので寝てばかりの日々をここ数日間は送っていました。吐き気はしても実際にリバースしたりしなかったんで、そうなると掃除が大変なので、吐き気を感じたら素直に横になり目を閉じ静かにしているとその内、意識が飛ぶので、意識の脱落から帰郷すると意識がリセットされている。その繰り返しでした。

もっと長々書けるけど、今は回復しているみたいなんで体調不良の悩みは無く、ブログ記事を書くことへの自信喪失だけが現在は感じている人生の大きな悩み大半なんです。どこか一点が上手く行けば全てが救われた気分になれる。というよりも、日常生活の一点が上手く事が運ぶのは運の良さを推し測る材料になるのだ、というよりも私の集中力の高さを推察する指標になる、ということだと考えている。どんな私みたいに知能の低い猿人類並みの野蛮な人間であろうとも物事に対する集中力が高ければ、何も手間取ることなくスムーズに事が運んで行くのだろう。私は今注意力が散漫だし孤立無援の闘いだと思っている。とりあえずは私に残されている戦法はもっと過剰にひきこもる意志だけだと無意識的に感じる。どうせ友達もいないし外に出てもしょうがない。というか外に出ると孤独だ。正確に記述すると、外出から戻ると孤独を、精神的に落ち着いている今以上に孤独を必要以上に意識させられてしまう。どう明るい側面を考えても発見できなく、救いようが無く私は孤立している。

話を戻すと、というか初めから話し直すとすると、ここ数日は体調が悪くて寝込んでいた。ブログを書く為に自分の内面と向き合うのを完璧に避ける為に、当ブログのスタイルシートを弄ろうと思った。ブログを運営するのはとても私にとって手間が掛かっている。ブログ記事を書くことに集中して今後は運営して行きたいと考えた。掲示板の廃止や他に持っているブログの切捨て等を計画し実行した。

実はそこに到るまでにいろいろ考えたこともあった。ブログを長く続ける気があるのなら有料サービスに移行すべきではないのだろうか?MovableTypeやNucleusを用い、ドメインを取得してサーバースペースを借りて運営すべきなのではなかろうか?それが社会性というものではないのだろうか?大人なのではなかろうか?とかいろいろ考えた。でも私は両親と交流も無いのでいつどのような決断(現住所についての身分証明の不能事態)をしなければならない時が来るかもしれないと常時考えてもいる。支払いがさまざまな理由から不能に陥りデリートされると私の育てた物は無に帰することになる。でも私は私のブログに過保護過ぎなんじゃないか?とも思った。掲示板を廃止することや他の運営ブログの精神的切捨て(実際はリンクを外しただけだが、それだけでも地続き的コンテンツによる心理的負担が大幅に減った。リンクして私の運営ブログだとプロフィール欄に記しているだけで、もっと体裁を整える心理的必要性が私の内に芽生えてくるので、管理が下手なら記述しなければすっきりする。)により問題対処への作業の手数が最小限まで減った。

無料ブログだと、ここの場合はライブドアに消されてしまう心配もある。私が目障りだという理由で消されてしまったらまた挫折を経験させられてしまう事態に陥る。それへの保険の意味も込めて有料サービスに移行したくても、ライブドアブログの有料サービスへの支払い方法はクレジットカードのみ。私は職に就いてないのでクレジットカードは作れないと思う。有料サービスでもないフリーブログに一所懸命に全力を費やす危うさがここのところ気になっている。

でも意外とフリーサービスだから永遠に生き残ることも考えられる。私が2000年5月くらいからネットとパソコンに初めて触りつつ今までで取得して来た大量のアカウントで今も生きているアカウントも多いのかもしれない。全てデリートされてもいるかもしれない。もしかしたらまだ残っているかもしれないが、その大量のアカウントのURLは度々襲われた予期せぬデータ消失によりバックアップを怠っていた為に永遠に探し出せない。

有料だから無料スペースだから、どうというより、私の生活の先の予想出来なさ、将来の不安が、ブログを運営していることでも思い知らされる。決してブログは私の逃避の場なんかにはなり得ない。友達や恋人が私にも出来ればエスケープゾーンに成り得るかもしれない。でも私には友達が欲しいというより寂しさ、人恋しさは強く意識はしているが、エスケープゾーンかどうかはまた別の問題なのかもしれない。いたるところに現実は存在し逃げることは出来ない。出来るはずが無い。全てを完璧に回避することなんて出来ない。寂しさや人恋しさの感情の存在も否定できない。

いたるところに悲惨な現実が見え隠れする。などといったようなことを書いたが、上記のような問題点を発見し過ぎる私の性質こそが大きな問題点かもしれない、という結論にもなるだろう。ブログ開始時点では細々運営していたが、いつの間にか大風呂敷を広げ過ぎて飽和点を経験したようなので今度は収縮する(丁寧に最小限まで折り畳む)運動に身を委ねるしかない。

何か書き忘れた気がするがそれはまた次の長文記事に盛り込もう。気分をリラックスさせ気分を切り替え、記事を久しぶりにアップロードすることにする。

ちなみに前回図書館に出掛けてから一切外出していない。

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