« ひきこもり(もしくはニート)が日記を公開する上での不安と区別がつかない自分自身の近未来への不安と | メイン | 無気力な記述はアリかナシかの結論は先延ばしか大きく迂回してまでも書く行為について »

言葉が脳内へ引き篭ってしまいブログへ出て来ない悩みと私の書き言葉のぎこちなさについて

普段なんも考えてないで時間を過しているので書く文字に困ります。室温が肌寒いです、今。とか、PCモニタに映るテキストエディタの白色が真っ白くて目に眩しいです、今。とかしかなら書けるのだが、それではあまりに貧弱だと自己批判のツッコミに晒されている。

今おでこが痒かったので掻いた、今。とかの実況中継もしくは、脊髄反射としてしか言葉が出て来ないし、誰にも報告するでもない完璧な独りなんで、ブログに書かなければ言葉にすらならず、肌寒いし眼に刺さる眩しさだけども、言葉に形成もされず疲れたら横になって休めばいいと淡白に思うだけで言葉は必要が無いが、しっかり私の日常生活の貧弱さには貧弱だと自己批判のツッコミに晒されてはいる、その繰り返し。だから疲れる。

「自己批判のツッコミ」のサビの形骸化された毎度のリフレイン反応なので非建設的な脳内批判に飽き飽きしている。疲れた。眠くなる。横になると気持ちがいい。幸せ。寝て暮らせれば良いのにとか昔からそんな気持ちで過して来たせいなのが、今の生活に陥った原始の言葉でもある。脳内自己ツッコミの連鎖もしくは自己運動を止めたい。でも止めてもそのエネルギーの行き場を新しく考えてあげないと、ただ止めるだけでは危険が伴う。

脳内自己ツッコミの自己運動の建設的な利用方法はないものだろうか?リサイクルや資源を大切にする時代に目に見えるまでに(建前的にと言い換えられる可能性もあるが)充分移行してきた時代だと思うので、私の脳内の混沌も無駄に捨てられずに有効活用されて欲しいものである。ゴミに例えたのは失敗だった。私にはよく分からない分野だし知識も皆無だし不用意な書き方だった。でも「脳内の混沌」がドロドロしたゴミにイメージされて仕方がない。ここに書かれた日記を見ているとそうイメージされて仕方がない。

ブログというより脳内のゴミ捨て場のような気がしてくる日もある。最近がそうだ。密かに悩んでいる。言葉が滑っていて薄ら寒いなと思う。滑るのは構わないんだが、誰も傷つけずに暖か味をもって滑っていけばいいのにと思う。私はギコギコしていて駆動部にオイルが少ない温かみを失ったブリキの人形だ。

でもキコギコやっていれば金属疲労は起こすかもしれないし私がいま疲れている換喩みたいにもなるかもしれないし、金属疲労が熱の化学反応を内在から呼び起こすように、ギコギコしたぎこちないスタートアップに先行きの不安が内側の不安ではもはや抑えきれず、空気の振動を介して耳から確認できる状態であっても、耳に聞こえたり、ブログのように目に見えたり、白色が基調のブログなんで眼に刺さるように眩しかったり、外部からの刺激をクリエイトする退屈しのぎに時間を使って快楽を見出したり、可視化された能力の限界に落ち込みながら日々を無為にやり過ごす無意味さ、私の人生の無意味さの記録でもあるんだけど、それは書き過ぎというか一言多いのかもしれない。

今日書いた文字の全てが一言多かったのだと反省している。朝焼け気味のオレンジ色の暖色系の朝。今日は私が住む地域は午後以降に雨が降る確立の高い天気予報らしい。フェレンギ星のように毎日梅雨が降り続く気候の星に産まれたかったし、アマガエルから進化したような人類が誕生していれば幸福なのに、とか意味のないことが想起されて止まない程に私は退屈しているし暇だ。

元気が有り余っている人が羨ましいし、分けて欲しいという訳には行かないような気がする。だってその人の運を略奪するシーフか貧乏神のような気が自分に対してするから。そっと他者の傍に寄り添い元気に触れて活性化されるのを望むような気がする。

私も他者の影響をモロに受けたい。私になんて拘ってしまうと行き着く先は必ずダウナー文章でしかない。私でなくていいんです。ほんとに。嘘じゃなくて。そうなんです。他者に騙されている的に強く影響を受けたい願望がある。今日はそんなところの結論でお願い致しましたよ?とか何書いているんだ俺は。でも優柔不断の発露はさておいて、さっさと非建設的に迷ってないで何か書いておかないとと物凄くもがいて焦って不出来に自分でも思えるぎこちない仕上がりの文章をぎこちなくここに置き去りにします。ご来場とご拝聴ありがとうございました。またのお越しをお待ち申しております。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261