退屈をたっぷり味わいたい、ピンホールカメラや初期のカメラのように
2/5に借りてきた本を図書館へ返却に行かなければならないのに、そんな簡単な用事もこなせない人間になってしまった。疲れた。とうに期限超超過で突付かれて緊迫した用事につっ、つかれた。訳でもなく、何も出来ない人間なんだな、結局は、私は、と思い知らせれて辛い(ような気がする)。でも今現在は図書館は閉館しているのでどうしようもないし、リラックスできているし心理的緊迫状態でもない。
開館している時間帯は昨日の日記で書いたように、昼夜逆転の生活リズムで外出が適当でない体調だと思われる。寝惚けて外出して怪我をしてもしょうがない。身の安全を第一に考えるべきだ。一日の中で私にも気持ちの変化やリズムがある。寂しいと思う時間帯もあるし、心理的緊迫状態の真っ只中の時間帯もあるし、気だるさに全身が厚くコーティングされている時間帯もあるし、何か楽しいし調子イイかもとか思い上がっている時間帯もある。毎日何かしら変化があるもので、変化というか学ぶものがあるし、それに救われています。
救われてなかったら、「心理的緊迫状態の真っ只中」の日記が書けるし、他者にブログを売り込みやすい戦法かなとか思う。私なんて訳の分からない長文マニアックでナッツだと他者に事実思われている。話を戻すと、毎日何らかの発見もあり学習もある。新しい知識(の実践、もしくは実践の中での新しい知識の発見)を得た喜びがある。でも私の学習能力なんて客体視して評価することができると仮定すると、バカバカしいものだ。結果を出さなければ何も学んでないのと同じだ、という意見に勝ち目はない。そんなこんなで今日も何も話題がない。
私は具体的な話題の一つも実績も何もない人格の人間。外出が恐怖なのは無職だからだというのも大きく影を落としてもいる。無職だし相談相手もいないので世間様に対抗する力が限りなく弱々しい。被害妄想かもしれないが外出する度に近所に聞こえよがしに噂をされている気がする。何でそんなに皆さん暇でいらっしゃるのか私には理解不能だ。家族や学生だったり主婦だったり井の戸端会議で雑談してリラックスできる時間を豊富にお持ちで羨ましいし、怒りを感じる。ということは私も暇な人間だということだ、所詮は。
いちいちツッコミして廻りたくなる。そうするとキリがないし小さなくすぶりが炎上する可能性も高い、と自分に言い聞かせる。そういった意味で他人の発言権を奪う尊厳の厚みが歩いているだけで醸し出されるオーラが欲しい。どこか隙があるのだろう。家の外の近所でも無職人間の尊厳は淡々と奪われている。とにかくマターリ精神が大切だと思うし、それでいて形振り構えない時間的余裕のなさも必要だ。どちらも私には欠けている。その心の隙間を埋める代替案といたしましては、独りマターリ精神はどうでしょうか?
ネーミングは仮でネーミングに変更の余地はあるかもしれませんが、それは措いといて、自意識にかまけてばかり居ずに、周囲の空気を読むことも大事だし、「心理的緊迫状態」になったらとりあえずその問題を放棄して無為を心掛ける。何も無為は悪ではないと思う。結果が全てでもない。過程を繰り返し楽しむ。結果にもいろいろある。結果を急ぐあまりその一方で長期計画がおろそかになっている可能性に考えを巡らしてみる。でもやっぱり全てにおいて結果が全てかもしれない。
長期計画を生かすために今現在こなさなければならない大小の課題。小さい結果でも大きい結果でもとりあえず結果が全てかもしれない。とりあえず、今日のようなぐだぐだ文章でも残すことが私の結果だと思っている側面もあることだし、何事も結果だと考えている証左ではないのか?外出しないのも何らかの自分を実現する継続した行為(この場合は外出していない期間を途切れさせない実績を作ること)でこれも何事も結果だと考えている根拠になりえる。とりあえず、リラックスあんどマターリ。日記なんだし、何を書いてもいいし、恥を書いてもいいんだ。
退屈をたっぷり味わいたいグルモンなんだ私は。グルメでなくグルモンだ。長文マニアックな私がグルメな訳がないしで。でもグルメをグルモンしたい気もする。それでは楽しめないのかもしれない。舌で料理を味わうか胃袋で充実感を楽しむかの違いで、、、、、、、、、、、あああああああああ、例え話をするといけないな。
話の本質が逸れてしまう。何を書きたいのか分からないが、とにかく数時間掛けて真っ白いテキストエディタに文字通りの私の影を写し込む。ピンホールカメラや初期のカメラのように。それは時間の無駄のような無為な行為かもしれないし、結果を出せていない気も強くするが、だらだらするの好きなんです、と以外言い様がない。そんな長文日記。