音楽語り。
私はジャズが好きだ。ジャズを聴きながら書いている。ジャズはかっこつけの為に聞いているのではない。ジャズこそが貧乏人の身分にある私を癒してくれる。ジャズのリズム感は、黒人音楽のリズム感が曲に再現されている。それを聴かなければいけない。観念的に、お洒落とか難解な音楽とかいうくだらない枠内でジャズを求めてはいけない。ジャズこそが、真に音を楽しめる音楽だ。プレーヤー側聴く側の双方に。身体に不快な音楽は切り捨てろ!あなたがジャズを不快に思うならジャズを切り捨てろ!
洋楽を聴いていると自分は周りとは違う選ばれた人間だと思っているタイプの人間だと思われてしまう。私は日本語で歌われた音楽を聴きたくない。作業の邪魔になる。正直、洋楽邦楽問わず歌詞なんかに思いを寄せる人間は馬鹿だと思う。ミュージシャンは詩人でも作家でもなんでもないのだ。文字を専門に扱っている人間に遠く及ばない。しかしだからといって言葉が劣っていると決め付けたい訳ではない。私は心を打つ言葉には価値をおいている。しかし、心を打たれても疲れる。やはり私は趣味的に楽しめる音楽が好きだ。ミュージシャンに思想的な側面は私は見たくない。疲れるからだ。言葉から一時でも離れたいのだ。そして思想的主張の少ない音楽を好む。私も昔『ロッキングオン』とか熱心に読んでいたタイプなので、過去への反発心が強い。楽しめる音楽が一番だ。趣味性を極めたり、多くの人に聞いてもらおうという資本主義的地点に初めから立って作られている音楽が気楽でいい。
私が洋楽好きにしろ、聴く行為にも複雑な選択を行っている。ジャズの方が洋楽よりも好きだ。歌物よりジャズの方が好きだと言い換えてもいい。3分間ミュージックと揶揄される歌物(ジャズ・ヴォーカルやボサノヴァ含む)より長めのジャズを好む。身体に不快な音楽も大量に聴いてきた結果、ジャズなり洋楽なりが好きだと間違いなく言える。身体に不快な音楽についてよく把握している。私の身体に音の歴史が詰まっている。こういうことを改めて書いておかないと、音楽を観念的に聴いている輩の一人に分類されかねないから、防御の為に書いておく。ほんと、趣味的な音楽っていいですよ。メッセージ性の強い音楽なんかいらないのだ。私が無意識のうちにメッセージ性の強い音楽を聴いていることもあるのだろうが、音楽性が高ければメッセージ性なんかどうでもいいのだ。
横並び感覚で聴いている。全てが同列に見えている。古今東西もいっしょくたに、このみのリズム感であったり、楽曲に反映されている趣味性の高さに価値を認めているから聴いている。音を楽しむのが音楽だ。音楽を大量に消費して、自分の好みの音を見つけなさい!
そういえば、インディーズが好きな時期もありました。即ちお金を持っていた時期だ。インディーズ盤を片っ端から買って聴いた時期があった。その生活は悪くないものだった、観念的に『ロッキングオン』を読みながら音楽を聴いていた時期に嫌気がさして、次は『bounce』片手にインディーズ盤を買い捲った時期だ。インディーズ盤には熱気と意欲と情熱と趣味性の高さが同時にあっていい。私もインディーズ盤が出せるミュージシャンになりたいものだ。