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頭痛と折り合う技術の会得

頭痛が酷く、世界が忌まわしいものに思えたり、嘘のように頭痛が消え去ったり、私は呆気に取られその変化についていけなかった。酷い頭痛はの正体は、パソコンのモニタを長時間見ているせいだった。視神経が脳の奥底にまで伸びているのだろう。こめかみ辺りの血管がキシキシしたのも、眼球の近くにある部位だからだ。脳の血管のトラブルかと想像したのだが、何のことはない。視神経を知らない間に酷使しているのだ。

まだ頭痛の名残があるが、首の裏側と後頭部の境目の辺り内部の脳に痛みを感じるのは、そこまで視神経が伸びているからなのだろう。脳を縦断している器官が視神経なのであろう。そして、痛みは特定の側に偏っている。その偏りった位置こそが、私の乱視が強い側なのだ。つまり両目が脳の奥底にダメージを溜め込んでいるのではなく、片方の乱視が酷いのがこの頭痛の原因なのだ。乱視は辛い。頭痛を抱えこまなければならない。

パソコンのモニタをただじっと見続ける生活だ。だが、そんなにかぶりついても何も得るものがない。何の知識を得て、どんな陣営を私の方へ振り向かせることができたのか?分からない。しかし、この頭痛は極めてリアルなものだ。強烈な体験である。寝起きでこの文章を書いてきたが、もう頭痛が酷くなってきた。長年のブログ活動で得たものは、この頭痛なのかもしれない。頭痛を緩和させる方法も昨日会得した。結局は、私の生活として、パソコンのモニタに起きている間中は目を奪われ、寝ている間、横になっている間はこのURIのノルウェーのインターネットラジオ放送を聴いている。インターネットから離れられないのだ。

実生活で文字を読む場合、書類や書籍や文書自体が発光することはありえない。しかしパソコンのモニタ上の文字は眩しく光る。しかも、ウインドウをかちかち入れ替えるので、ちかちかと明暗の格差からくるフラッシュが知らず知らずのうちに視神経に疲れを積もらせる。もう頭痛が始まった。すっきりとした心地よい寝起きなのにもう頭痛が蘇って来た。

昨日テクニックを会得した話に戻るが、その前に、インターネットは私の生活に欠かせないものだ。モニタを見続けていたいのだ。どんな酷い頭痛がしようと吐き気が起こってこようと、パソコンの前から離れられないのだ。それらの前提から導き出されたテクニックは、緩急をつけることだ。一時間もしくは90分モニタに触れ続けたら、眼鏡を外し外の景色を10分程眺めて休息を意識的に行おう!という結論ではない。そんなくつろげる場所が他にないのだ。パソコンの前か万年床の中かしかリラックス空間がないのだ。居場所がないのだ。ならばと緩急をつけることを思いついた。凝視を止めにして、凝り固まった視線をほぐすのだ。脳への刺激即ち頭痛を感じたら、凝り固まった視点を開放するのだ。

しかし、視点を開放ではブログ管理に向かないから、頭痛が酷いせいでブログは後回しになってしまう。こうも暇なのに能動的に発信することに酷い困難がある。

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