「ひきこもり」には二種類ある。過干渉な家庭と、過保護な家庭だ。
文字でしか表現できないインターネッター、もしくは、ブロガーなんで過剰に文字を書きつけるしかない。し、しかできない無能力な無職だ。私は無能力な無職だ。ディスクリプションに謳っているように、無資格で低学歴な無職だ。
誰しも、私くらいの年齢だったら、低学歴かつ無資格ということはないだろう。私くらいの年齢だったら、結婚し、自分だけの力で家を持っていることも充分珍しくないはずだ。田舎とはそういうものだ。車と持ち家を持つことが夢な世界なのだ。低学歴な若者は、早く結婚し、持ち家を持つことが、人生をこれからも生きていく技術だと、本能的に知っている。私みたいな低学歴家庭は、どうせ大学になんか行けやしない。
世の中資本力があれば勝てる。私のように負け続けなくて済む。ひきこもって、ヒューマン・レースから完全に退却しても、資格取得に向けてしこしこ努力すればいいのだ。資格取得だけを考えればいいのだ。資本力さえあれば、家から何年も出ずとも、社会で安定して一生生活できる資格を手に入れられるはずだ。資格を取得し、好きなときに社会参加できるはずだ。
「ひきこもり」には二種類ある。過干渉な家庭と、過保護な家庭だ。その二種類の生育環境がある。私は前者だ。一般的に「社会的ひきこもり」として概念化されているのは、後者の家庭だ。後者はどうみても、いつか自立できるし、自立できなくても構いはしないはろう。単なる、両親の老後を完全24時間サポートする人材として、(好むと好まざるとにかかわらず)一生を過ごすにしても、何とか一生を精神的に安定して、終えることができる。
とにかく、過保護な家庭は子供の成長の足かせになれども、いつか育つ。過保護には育てる意欲があるから、いつか立派に育つ。過干渉な家庭ではそうはいかない。過干渉が目的としているのは、壊すことだ。子供の成長を恒久的に壊す。私は、昔いろいろな生き物を飼ったことがある。常時触りすぎて数日で弱って死んで行ったことが多かった。もしくは、一時は触り過ぎるが、次に見たときは、水槽が濃い緑に濁っている。生臭い濃密な匂いでやっと、生物を飼っていたことを思い出すのだ。悪いことをしたが、そうやって私は私なりに、私の生育環境をシミュレーションしていたのだ。
私には、精神的な安定なんかありえない。そのうち、必ずホームレスだ。両親が病気になったり寝たきりになったりしたら、必ず逃げる覚悟がある。
なんなんだろう?この恒久的な精神的な不安定さは?まったく、長年インターネットに触れているのに、私の残した業績は、2005年12月08日に公開した「hikikomori.in」しか持っていない。長年インターネットに触れているというのに、やっと2005年12月08日に生まれた赤ちゃん。毎日無意義にイライラしているだけで、何のスキルも身に付かない。時間は果てしなくあるというのに、毎秒ごとに精神的に追い詰められ続けている。もっと対外的に闘えるブロガーになりたい意欲があるのに、まったくのクソアクセス数。無意味な無職が私だ。何の意味もない、生きる価値もない人間だ。だが、生きるしかない屍。