DEXTERとアメコミについて
私はアメコミに詳しくない。だが、知らない間に多数のアメコミに影響を受けた作品やアメコミがベースのハリウッド映画を観ている。いろいろな書き方ができるが、アメコミとはこういうものだという今日の私の気分で定義してみる。
アメコミの主役はヒーローでなければならない。しかも、悪を憎み正義を愛する者である。悪と常に戦っている。逆を言えば、イノセントな一般市民を虐げる悪をイノセントな一般市民より秀でた力を持つ者である。一般人を遥かにしのぐパワーを持つ者がヒーローだ。つまりは、他人と違う特別な力を持った孤独な人物である。
なぜ孤独かと言えば、自分はヒーローだと声高に自己主張していないからだ。ゆえに、通常の生活上では他と違わない自分を演じ、かつ、自分が特別な力を持った人間だと他人に知られないように目立たないように暮らしている。なぜそんな込み入った二重生活を送るかと言えば、イノセントな一般市民に迫害を受けるからだ。
実は、悪とはこの正義の味方と同じく超人的な力を持ち、一般市民には悪と同じ人種だと分類されてしまうからだ。疑いの目で見られたら正義を行使する仕事に支障をきたす。だから実生活では目立たないようにしている。目立たない地味な人間だと周りからは認識されている。だが、普通に生活をしているかつ心優しい人物なので好きになってくれる女性や友達が当然出来る。
だが、そんな二重生活を送っているので、当然に親しくなればなるほど裏がある人物だと思われてしまう。浮気をしているのではないか、何らかのジャンキーなのではないか、友達関係や恋人関係での大事な場面で用事ですぐにどっかへに行ってしまうからだ。用事で居なければならない場所に居られないから、恋人や友達の心が自分から離れていく。
自分がヒーローであることを親密な相手に話せないばっかりに、相手との距離を感じる孤独な青年。DEXTERもそのようなアメコミのセオリー通りのドラマだ。だが、視聴者には違和感を覚えさせるのではなかろうか。やっていることはアメコミと同じくまさしく、悪を成敗している。が、その手段がいただけない。いくら悪人とは言え人間を殺しているのだ。
今日はアメコミと絡めてDEXTERを語ったが、刑事にストーカーレベルで目を付けられる様はレ・ミゼラブルそのものだし、セオドア・バンディ対セオドア・カジンスキー的時代が違う歴史上最強の武道家達がもし闘ったらどちらが勝つ的なありがちな三流番組や三流記事的な企画的なストーリー設定でもある。
90年代には羊たちの沈黙やブラッド・ピット主演のセブンなどのFBI捜査官とシリアルキラーの対決が好んで描かれたが、今の時代は、CSI捜査官と同時にシリアルキラーのような言わば目的を達成する前にまずは自分の身分や技術力を高くすることを考えるストイックな設定が受けている。セオドア・カジンスキー的だと私は思う。