« 一億総パリス・ヒルトン化時代 | メイン | アルバイトとして働いて6日目で、無能だと判断され解雇されることとなった。 »

人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろうと最近は心掛けている。

人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろうと最近は心掛けているつもりではいるが、なにせ、そう思いついて間もないので、大変に難しい。こういった道徳観念のようなものを、態度に反映させるのは、意識してみると非常に大変な作業だと思う。結局は、今までの人生、人の楽しみを奪わないイコール人と適度な距離感を保つ、そのような結局は避ける方法論を好んで選択してきた。積極的に人の楽しみを奪わない方法、というのが難しい所作で、それを身体に徹底させるのが、思いのほか大変な労力を、初期動作的に、初めて使うような筋力を、その所作に割くこととなり、非常に神経的にも肉体的にも疲れる。

変な文章を書いているが、イメージを伝えたいだけで、具体的にどうこう言いたいわけではないので、輪郭の境界のようなものが伝われば、それで私が何か発言したい目的や欲望が達成される。

それとは直接関係ない例えだが、私と対話したければ、私を感心させるような人物か、もしくは、タイミングの絶妙さをもってしか、私は対話に応じないような人物であることは、このブログやツイッターとかでの言動の雰囲気で、その意味は感覚的にご理解いただける類のものではあると思う。正直、私は対話相手に向いていないので、全くそのような獲物に選ばれたくないし、獲物にされているとしか思っていない面がある。

とにかく、この考えの方向性で、集中して一つのテーマとして考えると、なんだろう、よく分からないしか言えない。リアル、ネット、二つの人生があるとしても、ネットだと濃いコミュニケーションが可能だ、というわけでも、私の何となくの希望を込めた予想に反して、そのような訳もありえない。私ですら曖昧でぼやけたアイデンティティしか持っていないので、起点とする私ですらなんら濃くは無いのに、その私がどこに情報伝達などの点に濃さを求めるのか、意味が分からない。

リアルに救われる点、ネットで救われる点、ネットにおいて私が人の気持ちを傷つける点、リアルにおいて意図せず人の気持ちを傷つける点、リアルで人のちょっとした優しさに救われる点、リアルで人のあたりのよさに多少騙されている点、いろいろあると思うが、いろいろそれぞれある、と以外言い例えようもない。いろいろなツボを突かれて、ランダムな快楽を得て、立体的な現実認識力を養う、それが人生なのかもしれないし、近い未来にやってくる現実なのかもしれない。

この話の流れになると、「未来は今始まっている」と結論づけそうになった。いろいろな方向性で未来だか将来だかは始まっている。人生に閉塞感ばかりを感じていた年齢の頃でも、今も性格は変わらないが、別の言い方をすると、いろいろな感覚が衰えてきて、鈍くはなっていると思う。果てしない精神活動を行えていた若さ、を私はもう持ってはいない。話がだんだん逸れてきたが、現実は多元的に展開しているという現実認識能力が、私には人生全体で他人より劣っている。

どんどん話を逸らしていくとすると、私は私を売り込むことを今の人生まで全力で避けていたし、そういった方向性に弱い性格だ。この弱さをそうしようこうしようという決意ではなく、「人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろう」とは決意徹底しようとは思うが、その逆の立場の人物に憎しみを向ける、という意味でもないし、そのような決意徹底している人物を愛していこう、という意味合いでもない。人も人の行動も自然の一部だし自然そのものだから、自然環境を愛するように、人を愛そう、いつくしもう、とは切に思う。

スポンサード リンク

連絡先

  • blog@hikikomori.in
Powered by
Movable Type 4.261