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      <title>ひきこもり</title>
      <link>http://hikikomori.in/</link>
      <description>無職。無資格。低学歴。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>内的にも外的にも、印象や記憶から自由になりたい。</title>
         <description><![CDATA[<p>amazonの荷物をコンビニで受け取るサービスを利用してみた。これで生活の幅が広がったように思う。細々したものをちょこちょこ利用しやすい気がする。edyカードでコンビニ支払いをしたりしだして、現金嫌いの私には本当にいい時代が来たな、俺の時代だぜ、とか思う。別の電子マネーカードを使って、深夜スーパーとかも今後は積極的に利用しようかなと思ってる。ネットで情報を調べて、パソリで電子マネーをチャージして、現金でなく、財布にカードを一枚だけ入れて持ち歩く。</p>

<p>とにかく、そういった風にコンビニを利用していると、私の今しているバイトもコンビニのバイトも似た仕事内容だと本当に思う。仕事の話も音楽の話も、ブログバレしそうで書けないような気がしてきたので、ブログを書くのを避けている。いろいろ覚えることが多くて、脳のキャパシティーがオーバーロードしぎみの毎日で、忙しいのもあるし、普通に生活していても目からいろいろな情報が飛び込んでくる性質だというのが、よく人生で初めてすんなり理解できた。それで軽くパニックになったり、どもったりしているし、外見や服装も相まって、仕事仲間のような人達からは、たぶん知能遅れの人みたいに人物評価されていると思う。</p>

<p>いろいろブログに書きにくくなったとは言っていても、友達が出来たとかではないし、軽く話す程度というか、正直言ってよく分からない。音楽の趣味とか他の趣味の話を少し披露したら、だいぶ見る目が変わったようだという程度。普通にドラッグストアとかコンビニとか行っても、ネットラジオを掛けっぱなしイヤフォン家にいる間中はめっぱなしの生活で耳馴染みの曲が掛かっているから、洋楽好きがステータスのような時代ではないのかもしれないけど、何でどこでも洋楽とか掛かっているんだろとそっちの方が社会的に不思議でしょうがない。少し前までは「俺の母ちゃん近所でも人気者で俺の自慢。まじ尊敬してる。」とか詳細は忘れたけど、その父親バージョンみたいな曲や女性歌手の母親リスペクトみたいな曲ばかり掛かっていたような気がするのに。スーパーとかその手の業種の量販店で販売促進効果のような、吉野家コピペのような、子供の為に頑張って買っちゃう効果を狙っているのか、そんな感じのやつ。音楽も売れないので、そんなのばかり作られているようなイメージの邦楽業界で。</p>

<p>何か父親が買ってきた大量の栄養ドリンクを毎日飲んで、やっと脳を安定させているような状態で、栄養ドリンクのおかげで夏の暑さにもかろうじて持っている程度で身体面で弱いし、依存症でいうスリップのような精神状態になりやすい。睡眠不足で肌がボロボロの時期が長くあって、これも精神的にかなり参った。あと今の時期は疲れていると、体臭が変な臭いがするので、制汗剤を買って使うしかないようだ。馴染みの無いアイテムだけど、とりあえずクリームタイプのような容器のやつを使ってみようかなと思う。たぶん肝機能が弱っているのか、栄養剤中毒か、とにかく腎臓とか弱っているっぽい体臭があるような気がするが、男はこういった臭いがするものなのか、仕事が終わった汗臭いTシャツを嗅ぐと、ムスクっぽい精液っぽい臭いがする。</p>

<p>とにかく、仕事上の細かい愚痴はたくさんあるし、こんな仕事を続けていていいのかというような処理しきれない感情のようなものもだらだら流れ続けるし、童貞だから女性が苦手と断定してもいいが、女性が苦手なのも根が深い理由があるんだとやっと理解できた。私が女性が苦手なのは、男性より素早いレスポンスを求めてくるし、女性の話が直感的に理解できないことが多い為で、とは言っても老若男女人間あらゆる世代すべてが苦手で、人間の生命力が凝縮されたようなのが若いっぽい女性ってことで、人間の生命力みたいのが自分に向かってくると怖いしビビる。苦手にも二種類あって、、、とかたわ言を書きそうになったけど、女性と事務的な話をするにもパニックに陥る。といっても、男と同じように事務的なを話してもパニックに陥るし、私の記憶に残りやすいのが女性に対して対応をミスった事の方なわけで、結局はそういう話に落ち着く。</p>

<p>内的にも外的にも、印象や記憶から自由になりたい。</p>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 27 Jul 2010 16:41:23 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>純粋に行為自体に価値が発生する。</title>
         <description><![CDATA[<p>生きること全般がパフォーミングアートに思えてきた。公共の場で見知らぬ他人同士のケンカが勃発、分かりやすく人目を引きやすい人間の行為ということであれば、ケンカが偶然の芸術の最たる発露かもしれない。後は、中高生の頃に施されるような性教育の、性欲を昇華させる方法や、過剰な性欲をスポーツに打ち込むことで解消させるとか、も関連性が高い話題かもしれない。</p>

<p>人とのコミュニケーションや対象との係わり合いが、つまりは自己表現ということだろう。芸術、自己表現、コミュニケーション、趣味に没頭、私自身が今何を話題の中心に据えているのかあいまいになってきたが、偶然の芸術やパフォーミングアートについて集中して考えようとしているのは確かだ。</p>

<p>正直、生きていて全く楽しくない。深夜の比較的周辺住民が静かな時間帯に観るアニメや海外ドラマは比較的、趣味に熱中している状態と言えなくもない。しかし、相当鑑賞前に精神を統一し雑念を払い、顔を洗い目をきれいにしてかつ眼鏡を洗って視界を整え、と前準備が無いと楽しめない。</p>

<p>つまりは、ザ・スミス全盛期に言われていた、神経質で内向的な若者の為の音楽、のような、そのような人生がどこまでも付きまとってくる。世の中にはいろいろな人が居る。なのだけれど、この集団内の人たちは、何か洗練されていて所属していて心地よい。または全く所属したくない集団でも、何かその集団内の基準で他のメンバーより努力を惜しまないなどの集団内での評価を得ることで、自分の心地よい、自分ルールを多少発揮できるような地位を少しずつ獲得していく。</p>

<p>心地よくない集団に属しても、結局は離脱せざるをえないことや、排出されてしまうこともあるだろう。努力しても地位が上がらず、ただの食い物にされたり、自分の方に不必要な人間関係への依存心が芽生えたり、複雑な精神力学が発生すると思う。私のブログも不必要な共犯関係を維持する装置だったりするのかもしれないし、私自身とブログの関係がすでにまさしくそういうものである前提が存在するから、ブログを開設したのかもしれない。</p>

<p>あまり上記と関係ない結論を最後にとってつけるのだが、人生が無意味なものだとやっと感覚的に理解できて来た。人生は無意味だし、人生は無関係だ。全く共通言語を持たない同士と直感する相手、その直感が外れる場合もあるだろうが、それはどうでもよくて、共通言語くらい探せば私の中で眠っているだろうが、探すのが面倒だし、アニメオタクよりアニメを観ている方かもしれないと自称しているが、アニメのタイトルをいつでもすぐに会話に上らせるようにセットしておくのも、私にそのような才能が無いのが理解できてきた。とにかく、あらゆる他人と共通点が無い、その素質はあるという状態。それが人生なのかもしれない。内面をひたすら充実させることと、それを外に出すのはまた別の技術がいる。</p>

<p>内面を外に出すと、技術の未熟さが露呈して今までの人生の敗北だから、隠しておかなければならないものとも違う。自己充実していれば、趣味で他人と繋がる必要性を感じない。そのような人生の段階に突入しつつある、ということだろう。誰もが、何らかの形で子供の段階から、実はそうなのだろう。と思ったが実際は、技術の未熟さが露呈してしまい敗北感で全身が覆われ、精神が暗黒面に落ちようとも、どうでもいい。人生は全くの無関係だ。何をしようと、何とも誰とも関われない。ただ寄り添うことができるだけだ。</p>

<p>とか書くと、それで終わると温かみがある文章の印象が永久保存されるのかもしれないが、人生は物だ。温かみなんかなく、無機質に無関係だ。例えば、人に優しくするとそのこと自体に価値があるから、人は優しさを発揮し、その逆も然り。純粋に行為自体に価値が発生する。人間は良くも悪くも価値から逃れられない。そのことが、何か絶望的なことのように、最近は思えてきた。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2010/04/100408_131433.html</link>
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         <pubDate>Thu, 08 Apr 2010 13:14:33 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>コンビニ利用などの最後に「ありがとうございます。」と言う。</title>
         <description><![CDATA[<p>結局誰もペイパル経由で私に投資してくれなかった。いろいろ欲しいものがたくさん出てきた。ブルートゥース可能になるレシーバー付きヘッドセットを買ってネットラジオをやってみたくなってきた。ブログを書く時間が持てないからもあるし、心境の変化もある。言い慣れない言葉は言いにくい。言葉を発する時、もたつく。そうでない時もある。気分と口が上手く合致した場合とか、リラックスしている時とか、アドレナリンが出ている時とか。それ以外の場合は、やはり普段言い慣れない言葉は発音しにくいし、言葉が出てこないこともある。言い慣れていることは反射的に言葉が出てくる。</p>

<p>そうする必要もないのだけれど、買い物が終わった後程度でも、ありがとうございますと言ったり程度のことを言っているのだが、別にそうする必要もないし、そうする是非や意味を考えることを保留して、とにかく、自分がお金を払っているにしろ、サービスを受けたらありがとうございます、と言ってみる。病院で診察を受けて、受付や看護師や医者様々な人にありがとうございました、と口にすることと、コンビニで買い物してありがとうございました、と言うのは、意味合いが違うのかもしれないが、とにかく、最近はそう言っている。というより、反射的にそうしている。</p>

<p>日常会話というのはその程度の挨拶の連続だと思っている。限られた時間内でどの程度コミュニケーションをするかという問題も係わってくる。誰かと仲良くすれば、誰かは切り捨てられる。とにかく、そのような外向的な興味や意識の向け方を考える機会が増えた。それに伴い、内向的な問題も同じように考えるようになった。話が飛んでいる、説明が足りてないかもしれないが、そのような意味で、ネットラジオをやってみたいと思うようになった。</p>

<p>それに、ブログで意見を練り上げるより、ツイッターなどで人とのゆるい繋がりを求める方向へ時代がシフトしているのを感じるからというのもある。正直、私は喋るのが下手だし、言葉も聞き取りにくい方だと思う。それは置いといて、アニメを私はよく観る。子供の頃のように、アニメキャラに恋する気持ちは、今はよく理解できない。テレビを観ていて、実在のアイドルやタレント的な人を恋的な意味で好きになる気持ちも同じように、理解できない。そういうのはともかく、構造が見え隠れするからだし、興味は背後の組織系統や社会構造や、ドラマや映画やアニメだったら、作者の意図を汲み取ろうという視点でしか観ていないから、特定の架空の人物やテレビタレントなど自身に感情移入する必要もない。実際に接する人物も、様々な立場を背負っているから、好感を持っても何か裏があると勘繰るから、エンターテイメントを消費する視点と何ら変わらない、私個人としては。</p>

<p>しかし、世の中は複雑なもので、遺伝子的に好感を持たざるを得ない場合とか、冨樫義博のように神と思うしかない人物もいる。とにかく、私はアニメをよく観る。好きな声優さんもたくさん増えた。最近は目立つ作品もないが、釘宮理恵本人の画像や映像を見るだけで、声をあてているアニメキャラのように脳内補正が自動で施されて、私には見える。とにかく、人イコール属性のようなものであるのは間違いない。所属しているからその人物足りえる。</p>

<p>とにかく、アマゾンで最近たくさん買ってお金が無いが、まだまだ欲しい物がつぎつぎ見えてきた。トイデジカメから写真に入門したくなってきたし、どこから手を付けていいのか分からないから物欲はないけど音楽で自己表現もしたい。お金も無いのにパソコン環境を整える為に、OAデスク関連を死ぬほど調べた。現時点でお金は無いが数ヶ月以内に達成したい。どうやら、作業台、ワークベンチが私が求めているイメージと合致することが判明した。総耐荷重量が余裕で100kgを超える物が揃っている。折りたたみ式で、テーブルの脚を固定する横棒があるものがある。こういったものを私は求めていた。どうしても、机に足をのせてパソコンで海外ドラマを観たいので、そしてパソコン本体も高い位置に置きたいので、普通のOAデスクの総耐荷重量50kgとか頼りなく感じて、どうしようか戸惑っていた。</p>

<p>とにかく、自己表現とはスタイルの構築にあると思う。スタイルを構築するのも模索するのも、他人から邪魔されたり、家族にのび太のように大事に買い溜めた漫画を一気に捨てられたりのような大きな障害があったり、とにかく、人はそのような戦争の渦中にいる。</p>

<p>とにかく、いろいろな方向性から自分を規定しようと思う。何か状況に即したちょっとした挨拶が多種、反射的に出てくるような意味で。そういうのもある種自己表現かなと思い始めた。一方的にやられるより、ありがとうございます程度のサインを最後に残すのも立派なアウトプットなり自己表現だと思い始めた。一方的にサービスを受けているのを感じさせない所作に、感謝するという意味合いよりアウトプットとして自分を残していく。ありがとう言う行為は、あなたは私の代わりに複雑な処理をしてくれています、という認識を相手に伝える意味合いなのだが、それがつまりは感謝しているということに他ならないのだろう。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2010/03/100313_092558.html</link>
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         <pubDate>Sat, 13 Mar 2010 09:25:58 +0900</pubDate>
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         <title>投げ銭のお願い</title>
         <description><![CDATA[<p>私には才能が無い。ブログを書くことだけしか能がない。正確には、このブログを2004年の6月8日からブログを書いている、という才能しかない。人生でやったことと言えばこのブログしかない。</p>

<p>純粋とはなんだろうかと考え続けてきた。何者にも影響されないし、何者にも影響を与えない。純粋な方向へ自分を推し進め続けたい、という欲望も抱えている。私は私の文化圏を作り、その肥沃な想像上の広大な国家を悠々と闊歩するイメージ。</p>

<p>お金は欲しいがお金は揉める。女は欲しいが女は揉める。私は悩みとか揉め事とかが一番嫌いだ。しかし、全面的に煩わしさから逃れるのも疲れる。それに、もう人生の終わりが始まっている感覚がはっきりとある。</p>

<p>本題に入れば、ペイパルのビジネスアカウントを作って少々送金テストをした。前に作った未承認のプレミアムアカウント間で一度テストしてみた。ビジネスアカウントを作成すると、好きな文字列の事業者名で送金可能となる。よろしかったら、私にお金を送金してみてください。メールアドレスは「paypal@hikikomori.in」になります。各自のアカウントにログインして、送金タブをクリック。金額を入力して、サービスのラジオボタンなどを選択されし、サービスの対価の名目で送金するのがよろしいかと思われます。</p>

<p>チャージは適当に送金の事前に行ってください。チャージしなくても、クレジットカードから送金分の随時引き落としが便利なのかもしれません。その辺はペイパル初心者なのでよく分かってないで書いてます。</p>

<p>とにかく、なんだろう、寒さでモニタが最近壊れた。その前のモニタは蒸し暑さで壊れた。そして、もうそろそろパソコンも何年か使い続けたので壊れるかもしれない。だからお金くれ、という訳ではない。やっと、インターネット活動用機材が壊れてもすぐさま買い直す資金のバックアップは完了したと思う。その煩わしさは別だが、金銭的には最低限は問題ない。しかし、バッドラックを呼び込むので、この壊れる話はあまりしたくない。本意として、先ほど書いた、身体の老いの話と関連して書いているつもりだ。</p>

<p>日常生活とは無縁の資金を作りたいと思った。しかし、投げ銭してくれる方がいないと始まらないが、とにかく、金銭的に流動性を取り入れたいと考えている。正直、私はお金が嫌いだ。まんじゅうこわいメソッドで言っている訳でも、投げ銭が得られなかった精神的予防線で言っている訳ではない。金銭が発生すれば揉め事が多少増えるのを嫌っている。しかし、大金を振り込まれたり、大金を数年経って返金しろとクレーム入れられる訳でもなかろう。とにかく、ビジネスの感覚を多少取り入れる遊び、余裕があってもいいだろうと思い始めた。</p>

<p>とにかく、今後何を買ったと書くにしろ、ブログとは別の収入源から支払う。これが可能になったから、こういう投げ銭の募集が心理的に開始できる下地になったと思っている。これから先、アドビイレストレーターを買うかもしれない。だが、投げ銭を自己への投資の資金源には絶対にしない。</p>

<p>後、お金を払う事に対する信頼が私に芽生え始めたかもしれないと思い始めた。お金を払うのはいいことだと思う。確かに、お金を払って失敗したな、と思うこともある。バイト用にズボンを確か8本買った。実用に耐えるのはその内の3本になるのだが、自分はこんな年齢になるというのに買い物が下手だなと本当に思うし凹むし、しかし、成功例が増えたことは喜ばしいし、次回からはより慎重になる。腰にぴったりしたズボンは余計な体力を使わずに済むし、ずり落ちてきて神経的にもイライラさせられなくて楽だ。</p>

<p>仕事用にいろいろ買う。虫歯を治したり、歯石を除去したり、など仕事を気持ちよく行うこと関連して歯医者にも行く。バイトの身分でいつ解雇されてもおかしくない環境だが、仕事を基準に生活を立て直すという、モノサシの存在が人生を豊かにしてくれていると思える。自己表現を基準に人生を立て直そうとすると、きりがない。しかし、ブログを書き投げ銭を得るという一つの表現方法に行き着いた。それ以外に、私の人生には何もない。それ以外に、私には才能が無い。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2010/03/100306_105413.html</link>
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         <pubDate>Sat, 06 Mar 2010 10:54:13 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>欲しいものはたくさんある。</title>
         <description><![CDATA[<p>いろいろ試行錯誤しているのはしているが、人生で何も達成できない気しかしてこない。新しい音楽は毎日聴いているが、パソコンやYouTubeに依存しているからか、若い時のように曲名もアーティスト名も憶えられない。これらを憶えていると、実生活でステータスアップの効果が確かにある。しかし、YouTubeやネットラジオを利用してポップミュージックの知識を深めている点は、反感を買いそうなので極力避けたい。ネット上ですらもYouTube以上の音楽の入手法を話題にしづらいのは確かで、黙っているしかない。レアレコードとかblogger.comにブログを開設している外国人が.zipで固めておおっぴらに流している。60秒とか90秒待ってからダウンロードリンクが現れるタイプのファイルアップロードサイトを利用している。月額いくらか払えば待たずにダウンロード可能だ。日本でも2chとかで成年コミックや同人誌を固めてアップロードする際に利用されているから、おなじみの向きにはおなじみであろう。日本語が使えるファイルアップロードサイトで、前者と違いダウンロードに微塵も迷うことがない違いはあるが。</p>

<p>ネットになじみが薄くて、興味のあるものは実店舗に出向いて買ったり借りたり、仲間と交流の輪を広げたり、の生活が充実しているっぽい方の人たちの方が、人生楽しそうなのも確かだ。エンターテイメントやサービスを求めて実店舗に通う、気晴らしになるという意味では羨ましいし、人生楽しそうで心の底から羨ましい。まあでも、全く逆にも同時に同じく等しくも考える。</p>

<p>海外ドラマやアニメを消化する時間が最近は限られる。The Mentalistとか観ると凄く人生でこの上なくリラックスできる。ナンバーズとか物語のおおづめの伏線回収ロスト最終シーズンとかシャークの言葉のマシンガンとかLife 真実へのパズルには何か親近感を感じる。アニメも観ているが、何だろう、西洋文化の豊かさや権威を紹介してくれる海外ドラマを観ると、凄くリラックス出来る。ダンス イン ザ ヴァンパイアバンドは、ああいった身分の高い少女が自分のことを好きになってくれないかなーという願望の代替で観ているようなものだ。とある科学の超電磁砲はジャッジメントですのというセリフとともに腕章を引っ張って強調する仕草が、毎回バリエーションも違うし、やる気がない時もあるが、そのシーンが頭から離れない。生徒会の一存とかそらのおとしものとか好きで最近何話も連続で消化して観終わった。生徒会の一存は正確にはまだ最終話を観る時間が無くてマラソンできなかった。</p>

<p>ブックメーカーで冬季オリンピックだかの日本の選手にベットしようかと思ったが、VISAデビットカードからは入金できなかったので、ネッテラーのアカウントを取ってみたが、身分証明のメール添付で一度失敗した。住民基本台帳カードを裏表スキャンしてメール送付したんだが、スキャンするとカードのサイズを認識してちょうどのサイズの画像が出来上がる。それではダメらしい。なので、カラーメモ帳を買ってきて準備してはある。四隅をはっきりさせ、背景と余白を作り出し、再挑戦しようと思っている。まあでもしかし、この画像で身分証明を送付する身分確認の方法を採用している口座開設サイトは、これが成功すれば好んで他の会社の口座開設でも受け付けていれば利用していこうと思わせる道が開けた感や楽さがある。</p>

<p>ネッテラーはペイパルと似てはいるが、ペイパルではオンラインカジノやブックメーカーへの入金を規約上禁止し制限しているようだ。ペイパルで個人への寄付を募るのも、最近では出来ないようだ。それと、ペイパルプレミアムアカウントでは、お金をやり取りするとアカウント名の個人名が記載されるようだし、ビジネスアカウントにアップグレードすることも考えたが、これで個人名は秘匿出来ても、カスタマーサービスの電話回線が必要で登録しなければならないし、もしかしたら住所も公開しなければならなかったかもしれない。とにかく、ビジネスアカウントではカスタマーサービス用の電話番号を公開する必要があったので、そこで挫折した。郵便振替用口座で同人誌のサークル活動用口座を持てる話をネットで読んだけど、それプラス、ゆうちょダイレクトと連携させれば郵便振替口座内のお金の入出金が楽だとも聞いた。その口座を作る際に、実際に活動しているグループ名なのか証明する必要がある話も聞いた。一度郵便局へ行ってこのブログ用口座開設を挑戦してみようかとも思うが、そんな精神的余裕もない。とにかく、匿名の両者間で電子マネーでない金銭のやり取りをするのは、実質不可能なようだ、特に近年は。昔やってみたので記憶が定かではないが、イーバンクの振込み箇所で振り込む必要があるのとは少し数字を変えて試してみたようなことをした。その時、口座番号が分かれば、本名の漢字まで分かってしまうことが分かった。とにかく、ブログ活動でお金を寄付してもらうことはできないかな、反応が薄いは罵倒されるは良いことがないブログ活動で何らかのレバレッジを感じたいと考えが基本的にはある。しかし、全ては全て別の方向を向いているとも実感している。口座アカウントを晒しても、振込みやすい人間が振り込んでくるわけで、私個人への投資でもなんでもないだろうし、私の読者になるような階層の人間からお金を強迫観念を利用してお金を集めるのも、モラル的にも受け入れられない。</p>

<p>欲しいものはたくさんある。人のちょっとした優しさにも触れたいし、力や豊かさを誇示する為に出来ることを少しづつ人生で貯蓄するように増やしたくもあるし、自己表現する為のツールも欲しい。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2010/02/100227_135855.html</link>
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         <pubDate>Sat, 27 Feb 2010 13:58:55 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>Lady Gagaが好きでたまらない。</title>
         <description><![CDATA[<ul>
<li><a href="http://www.youtube.com/watch?v=qrO4YZeyl0I">[YouTube] Lady Gaga - Bad Romance</a></li>
<li><a href="http://www.youtube.com/watch?v=d2smz_1L2_0">[YouTube] Lady Gaga - Paparazzi</a></li>
</ul>

<p>音楽に私は詳しくないので、非常にスマートでない解説にはなると思う。最近、レディー・ガガを好んで聴いている。彼女の歌が精神的な心の支えとなっている。音楽はいい、アニメや海外ドラマのように長時間全神経や身動きを拘束されずに楽しめるし、好きな曲を見つければ、途轍もない高揚感が得られる。とにかく、私は現時点の最先端の音楽はこのレディー・ガガだと思う。プロモーション用ミュージックビデオのお金の掛かり具合や彼女自身の衣装代よりも、音楽の方は単調な感じもしてしまうが、とにかく、現時点で最高にゴージャスな音楽だと思う。</p>

<p>私は海外ドラマのクリミナル・マインドが好きで観ているが、変なオタクっぽいスタートレック風のSFテレビドラマのレオタードみたいな格好やサングラスでセレブ雑誌に写真が載っているのをいつも見かけていたので、ペネロープ・ガルシアみたいなギークで売っている人なのかと思った。アグリーベティとか、そういったファン層を狙っているのかと最初は思った。音楽もそういう目線で見ると、洗練されていない野暮ったいものにも思え、最初はそう偏見を持っていた。</p>

<p>アートロックというジャンルがある。芸術学部の学生がロックをやっているようなジャンルで、ファッション性を優先させ、ロックの部分が疎かになっているような頭で考えられたような冷たい、理論的に先進的なロックミュージックを志向するのがアートロックの本質だと思う。コンセプチャルアートのロック版のような、聴いていて疲れる、生命力を奪われる音楽だ。ゴールドフラップとかいい曲がいっぱいあるし別に嫌いではないし好きなんだが、そういった系列の音楽だろう。変にファッションだけが完璧な聴きづらい意味で繊細なというより神経質で潔癖症の音楽がアートロックだろう。レディー・ガガのミュージックビデオもそんな感じだし、音色もそういった不快さがある。しかし、レディー・ガガの音楽は絶対的にポップだ。</p>

<p>あとは、一見、トーキングヘッズのようなニュー・ウェイヴっぽい印象もある。アートロックにも似ているが、こちらは温かいが難解な音色の印象がある、寒暖の大きな違いがある。歌のメロディが読めないようなふにゃふにゃしたとらえどころの無い難解さがあり、テクノポップのような聴きづらさがある。音階から自由になる試みをポップミュージック自体で行ったのが、トーキングヘッズの功績だろう。とにかく、聴いていて頭が疲れる。</p>

<p>後は、90年代のテクノミュージックのような音色を使っているとも思った。例えば、アニメ映画『MEMORIES』のエンディング曲。</p>

<ul>
<li><a href="http://www.youtube.com/watch?v=rufdwVh_N2k">[YouTube] In Yer Memory / 石野卓球</a></li>
</ul>

<p>アニメ映画『MEMORIES』を観終わった後にこの曲が流れてきて、非常に感銘を受けた曲なのだが、この曲単体で何のイメージも無く聴いても、やっぱり偉大な名曲なのかもしれないが、音色的に一部製作者の癖（サイン）のように感じかつ時代的に流行った音色の部分も重なり、とにかく、時代を感じさせる音色がある。</p>

<p>とにかく、レディー・ガガに戻ると、お姉ちゃん自身がロリっぽいところが皆無のむちむちで、肉感的なアマゾネス的美人だと思う。ブリジット・バルドータイプというか。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2010/02/100206_103705.html</link>
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         <pubDate>Sat, 06 Feb 2010 10:37:05 +0900</pubDate>
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         <title>サルベージ</title>
         <description><![CDATA[<p>何か時間が足りない感じで、ブログを書く暇が見当たらない。モニタが壊れて買いに出掛けた日もあって大変だった。モニタが壊れたせいでネットで調べる時間もなかった。当店人気ナンバーワンのLG社の23インチワイドを買って来た。買い物自体は20分程度の買い物だった。決断力の早さが身についたというより、時代の変化が選択のし易さに繋がった分かりやすい時代に変遷したということだろう。ドッド抜け補償金を上乗せして2万5千円でお釣りが来る価格だった。動画を観る行為が、目に大幅に優しくなった。視聴が格段に物凄く楽になった。</p>

<p>アマゾン通販で500GBの外付けポータブルHDDも買った。物理領域に私の世界観的に、かつてあり得なかった程の広大な宇宙のフロンティアを内包する程の余裕を持てた。仕事先で食べ物を買う必要が出てきたので、コンビニ弁当を買っているのが痛い出費なのだが、Edyカードを使うようにした。硬貨をじゃらじゃら管理する必要がなくなって楽だ。Edyカード用にカードリーダーも買ってみた。クレジットカード番号も持った。イーバンクのデビットカードなのだが、身分証の再確認はなしで簡単に作れた。アマゾン通販もこのクレジットカード払いで行った。これが人生で初めて、クレジット払いを行った。しかし、VISAではEdyカードにチャージすることが出来ないようだし、まだパソリの方は開封もしていない。</p>

<p>クレジットカード番号があれば、もっと世界観が広がりそうだ。海外通販も簡単に挑戦出来そうだし、海外ブックメーカーやオンラインカジノとかもこれでやっとベット出来る環境が整った。何故今まで無意味に躊躇していたかというと、無料でも作れるが、保険料として幾らかの月額支払いがしたかったからで、たった300円なのだが無収入ではこの額が大変重い数字だという感覚があった。</p>

<p>大分働くことで金銭的リソースという名の自由は手に入れたが、生活すること自体にまだまだ精神的に重い負担がある。敷布団がボロボロで殆ど綿の塊が剥き出しの状態のをフットレスト状態で寝ているので、体に負担が掛かっている、身体的に眠れてないと思う。毛布も二枚合わせのふちの部分が破れて、二枚化している。掛け布団は使わず寝ている。体に何枚もまとわりつく感覚が好きではないから、こういった生活スタイルになった。とにかく、毛布と敷布団と買い換えなければならないし、掃除機も持ってない。</p>

<p>生活自体に掛かるコストは、暇がある日には歯のクリーニングに歯医者の予約したり行ったりしなければならないし、自転車もカゴが破れていたので買い換えたりしたんだが、もう一台のメンテナンスもしなければならない。給料が出たお陰で歯医者にも行ったのだが、たった一度二度行ったくらいではシステムに慣れなかった。ネットで数年前予約が簡単につく複数人の歯医者がいるような歯科を見つけたのだが、個人診療所的な圧迫感がなくて利用しやすいなとは思ったが、お金が無かった。</p>

<p>後はペンタブを買ってみたり、インクスケープの参考書を買ってみたり、PHPプログラミングの入門書を買ってみたり、最終的にはアドビイラストレーターを買ってみたりしたい。パソコンでダウナーなエレクトロミュージックを作ったり、クラブジャズ的な音楽を作ったり、ラウンジ系の音楽を作ったり出来るようになりたい。ペンタブとかの方は萌え絵を描きたいから買おうと思っている。</p>

<p>とにかく纏めると、いろいろ学びたいことはあるが、何も知らない初心者で最初の一歩、新しい世界に飛び込むきっかけに、金銭的コストが掛かりすぎるという点と、精神的にその重圧に耐えられない／買っても結局開封もしないで埃被るアマゾン帰りの土産物品の訳の分からない置物と化すのを恐がっている。金銭的にも負担だろうし、前調べの段階でも莫大なプレッシャーだし、実際に扱えるのかも莫大な労力を必要とされる。</p>

<p>とにかく、表面下の見えない部分で進行しているもの、という計画のようなものがある。これが結構魔物だというのも経験によって知っている。適度に表面下から引き上げて、物として吟味する必要がある。そうしないと、精神が闇に呑み込まれてしまう。私がアマゾン通販で物を買うのに関連する行為こそが、唯一の社会生活であり、海底に沈んだ大航海時代のお宝を引き上げるサルベージのようなものだ。何かわくわくする解釈を人生に与えないと生きていられない。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 30 Jan 2010 05:36:12 +0900</pubDate>
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         <title>モノローグ</title>
         <description><![CDATA[<p>文章を書こうとはいつも思っているが、やっと精神的な余裕が生まれ、再度ブログと向き合おうと思って書いている。どちらにしろまだ、人生でもっといろいろ出来るはずだ、と思いつめながら生きているのは変わらない。食物連鎖の最底辺で蠢いているのを、皮膚感覚や現実世界の階層として認識させられる枠組みの中に入り込んでいるのを、とにかく、その中に居る実感というより、その最中にいるんだ、という以外にない言葉通りの社会の一員として働いている。アルバイトとは言え、その会社の一員だという風には見られる。新しい顔や人格を手に入れたと同じことだ、というのは理解出来る気がする。</p>

<p>年齢的にあとここで一年以上アルバイトするような社会生活もまずい生き方だろうな、とは思いながらも、そんなことばかり考えているので会社に馴染めない一因となっているのだろうなとは理解しているので、3年はここで働くつもりではやっているが、どちらにしろ、そんな気が長いことも初めから考えてはいるので、これも人に与える印象として良くは無い面もある。</p>

<p>どんなことをモノローグとして考えても、二面性のある印象を同僚や上司に与えてしまう。それはどっちに転ぶかは分からない。長所を悪く取られたり、短所を良く捉えられたり、ということだ。そして、結局は、人によって仕事のやり方が違う。同じことをやっているはずなのに、人によって全く違う対処をする。これは他でも働いたことがあるので、念頭には置いてはいた。それはともかく、白紙の状態から仕事を覚える点で、まだその途中の状態だが、とにかく、目に見える形で世界を認識する方法が人によって違っているのが会社の枠組みで行動で目に見える点が面白い。</p>

<p>パソコンを多少触るので、完全無職の間に長文ブログをやっていた経験は生かすことができた。文字入力での仕事の効率、時間浪費を防ぐ、という点で。パソコンのキー配列に慣れている程度で、他の方はアルバイトと言えど、もっと私なんかよりもタイピングが早い。どんな世の中なんだよ、と思う。人の能力と自分を比べたり、自分の置かれた立場のようなものを考えると情けなくなるが、そんなことはどうでもいいと突き抜ける精神も必要とされてくる。</p>

<p>もっと人を信じたり、自分に自信を持つという点も、私は激しく能力が劣っている。この辺もある種吹っ切る必要がありそうだ。</p>

<p>会社員として働いたこともないし、派遣社員として働いたこともない。アルバイトは気楽だろうと思っていたが、この不況時、そういうことでもないようだ。無駄な作業が切り捨てられる瞬間にも何度かもう立ち会った。</p>

<p>詳しくは書かないが、これから衰退していく一方の業界だろうけど、ある種ここで雇えて貰えてラッキーだったと思う。つまり、仕事の内容ではなく、同僚や上司に恵まれている愛社精神が芽生えた、そのような職探し時に考えていた意味でなく、ある種働いていて幸せだと感じるし、これ以上の私という人間に合う職場はこんな田舎では他にはないとは思う。とにかく、変な向上心を捨てつつあるから幸せだと言ったところか。10年前ここで働いていれば、時代的にあらゆる面で最高の職場だろう。アルバイトから社員になることも可能だったかもしれないし、私にとっても憧れの職場だったと思う。時代は変わるものだなとは思う。時代的な余裕もあるが、10年前ここで働くのは私には一番避けたい職場だったのも明示しておかないと正しくない。そういった意味で、何かを乗り越えられた場所に立っている事実が、自分でも働いていて幸せだなと思える点だ。</p>

<p>とは言っても、ただ年齢を重ねて感覚が鈍くなったというだけだろう。同僚と比べると激しく能力が劣っている。私みたいな人間がここに立っていて場違いなのではないか、そのような疑念は絶えない。努力で越えられない生来の気質みたいなものがある。人によって仕事のやり方が違うと先に書いたが、その点でも、まだまだ何も知らない全くの白紙状態の私が及ぼす影響もあるだろう。人に積極的にコミュニケーションをはかっていくタイプの人間では私はないけれど、私が存在している一点で、人に影響を与え波紋を与える。</p>

<p>洗練されていない野暮ったいキモヲタだか、知能が弱いみたいに思われている被害妄想だか事実だかは拭えないが、結局は被害妄想の方が強いのかもしれない。人に好かれるようなタイプではないのは確かだ。</p>

<p>正直、悩んでいると言う意味でなく頭が痛いので、日記のような感情の処理のようなブログを、今日のところはこの辺で書き終える。</p>]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Tue, 19 Jan 2010 15:36:09 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>ひきこもりが、練習で終わる人生、で終わってもいいではないか。</title>
         <description><![CDATA[<p>毎日の生活で精神的負担を減らすのが下手な性格をしている。何より生きているし、精神活動を納得させなければならなくもあるし、毎食の食事もそうだが体調管理も必要だし、それらに否応無く付随してくるとしか思えない掃除や洗濯やグルーミングのような細々した作業も、精神や体調やの精神的及び肉体的ストレスに大きく影響されもする。仕事上で、家で、感情的に納得できないこともいくつも出てくる。人の愚痴は「こんな変な箇所で饒舌になりやがって、こいつは馬鹿か」とか思って聞いているけど、私もまた別の箇所で同じようなステージで躓く。</p>

<p>内的にこうありたい自分というのがある。それに相対してという訳でもなく、外的なプレッシャーがある。</p>

<p>内的にこうありたい自分、に相対している外的プレッシャーとしては、時間的制約、資金力不足、能力の無さ、単に準備不足、などがそれだろう。</p>

<p>書いてて破綻してきかけたが、もう破綻させればいいという方向で書いていくことにするが、雨の日の通勤が大変重荷だし、仕事がある日はよく睡眠が取れているかが大変な心的負担だし、休みの日は、夜中中犬が無駄吠えしている家がそこら中にあるので集中して海外ドラマやアニメを物理領域から消費する行為に集中させてくれと思うし、その程度のことだろうがどうしていいか訳が分からなくもなって来る。</p>

<p>掃除機を1万5千円くらいかけて、ネットで何年か調べて迷って、サイクロン式がいいと最初から決めてはいたけどお金を払うのが何か惜しくて、とにかくメーカーサイト等をよく調べて、調べる行為というよりだらだら購買行為を遅延させて考えたが、前に使っていた縦型タイプのと似た使い心地っぽいものを選んだ、というよりも、同じメーカーのものを買ったのだが、一回程度使っただけで壊れた。といっても何年分もの埃を取った。</p>

<p>とにかく、サイクロン式は、感覚的に、吸い込みが弱く、構造的に複雑で、フィルム上のゴミを吸い取ったら、それがどこかに詰まって、全く吸い込まなくなった。分解してそれを取り除けば復活しそうだが、面倒なので捨てようと思う。次回は、紙パック方式のものを買おうと思う。</p>

<p>HDDの容量不足も悩みの種で、ウインドウズの警告ポップアップばかり毎日何十回も強制的に見させられるのがウザくて仕方が無いし、作業がその度意識や集中力が半減する。これも何年も買おうかどうしようか悩んできたが、この度金銭的な余裕が出てきたことだし、とにかく、買う余裕はあるが、買う時間的余裕の方が無い。調べた結果、私的には、1万円くらいの外付けポータブルタイプでいいのではないかと判断した。まあなんだろう、テレビ用のモニタと外付けHDDのみで録画とか出来る時代になっていることを知った。この辺は、モニタが壊れたら考えようと思う。薄型テレビとか、今いくら位なんだろうか？ 地デジ受信とかもよく分かってない。だが、その辺は興味がないので、全くよく分からない。知った方が人生楽になるのか？ だったら、積極的に知っていきたいのだが、誰もそのようなことは、人生全般で教えてくれない。余計なことは教えてくれるが、大事なことは誰も教えてはくれない。自分で恥をかいたり、無駄金ドブに捨てたりで、身銭を切って学ばなければならない。学ばなければならない、というより、惨事や事故に近い機会を持ったり、そういう被害に遭わなければ、一生別の世界の出来事なのだろう。例え何かをそうして学ぶ機会があったにしろ、感謝も祈りもなく、ただ別の現実が見える場所に移動しているだけで、視点が変わる場所に移動しているだけで、そのこと自体に全く意味は無い。</p>

<p>ただただ、お金が欲しい、何かを学びたい、とだけ思う。他人に力を示せる域に達してはいなければ、これは練習だ、と思い、これは試練だ、とは考えたくない。ひきこもりが、練習で終わる人生、で終わってもいいではないか。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2009/12/091226_122605.html</link>
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         <pubDate>Sat, 26 Dec 2009 12:26:05 +0900</pubDate>
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         <title>アルバイトとして働いて6日目で、無能だと判断され解雇されることとなった。</title>
         <description><![CDATA[<p>話す相手がいないので、ここに書いておこうと思う。アルバイトを始めてみたのだが、その採用面接の方は、履歴書の空白期間など特別なことは全く何も聞かれずに採用された。一日休んだり、一回10分程度遅刻したりした。その欠勤はカウントせずに、6日間出勤し、それぞれ実質8時間働いた。ここでその勤務後に仕事が遅いや、仕事が覚えられていないなどの理由から、解雇されることとなった。</p>

<p>まあ、詳しくは書かないが、単純にそういうことだろう。それに対しての私の言い分もあるが、結局は、数少ない人員の中で働く人間関係や、職場自体のシステムの複雑さ、通常業務内容を理解できていない、その3つの方向性で上手くできなかった。</p>

<p>生活習慣的にも、しっかり眠れていないし、体力もない。選んだ職種もまずかった、自分に合わないようだ。解雇される流れとなりながらも、1ヶ月の勤務予定を組まれた。その場で、特に考えもせず、もっと早く辞めることは可能ですか、と聞いたら、一週間程度のみ削られた程度で、あちらのシステムがどうなっているのか、私の理解の範囲を超えている。この辺が全く意味が分からない。</p>

<p>会社としての体裁なのか、解雇を撤回する余地があるのか、私が人員として少しは役に立っているのか、新しく人員を募集し採用しても同じような感じになれば、私に対する対応を変える予定があるという意味にも取れる。仕事も出来ないし、社会生活のシステム自体にもついていけない、無能人間なのは認めるが、よく分からない会社で、会社自体というか、直属の上司の裁量にも理解不能なところばかりで、不信感ばかりが増していく。</p>

<p>いろいろと社会勉強にはなった。6日しか働いていないが。結局、職場の人間関係の形成がまずく、仕事をちゃんと教えられていない／説明されていないことが原因のようだし、質問ばかりすると嫌がられる職場のシステムのようだし、忙しくて説明に割く時間が無い場合に問題が起こる、ということだろうか。人員が少ないので、新人教育する時間もなさそうだし、先に働いている同僚のような人たちは、仕事が出来るレベルが全く違う次元にあるから同僚とも言えない感じでこちらも上司のようになるのかもしれない、その方たちに嫌われているというのもあるだろう。それでも、半年や1年くらい働いていると間接的に聞いた。</p>

<p>やはり立場が低いような同僚にそういったことは聞いたけど、それでも半年近くは働いているようだった。先に書いた半年の方とはまた別の方のことを書いている。とにかく、職場の人間関係の形成が拙かった／印象が悪かったのだろう。そして、採用枠的にも、運が悪かったようにも思える。余計なことばかり考えている私の、モチベーションが低いのも確かだろう。</p>

<p>自分の無能さばかりや、仕事の知識があることを特権みたいに思っている特定の先輩のような上司のようなよく分からない立場の人に、特権という先入観を持っているのも、同じく私の無能さの発露かもしれない。</p>

<p>とにかく、社会生活の自信がよりいっそう削がれたというより、社会に接することで確定されてきたというより、また挑戦しなければいけない類の運動（人生）だろう。</p>

<p>とにかく、仕事ができない理由から解雇されるにしても、その決定にかけた日数より多く、まだ働かなければならない、その理由が全く理解できないし、受け入れられない。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2009/11/091108_150241.html</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 08 Nov 2009 15:02:41 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろうと最近は心掛けている。</title>
         <description><![CDATA[<p>人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろうと最近は心掛けているつもりではいるが、なにせ、そう思いついて間もないので、大変に難しい。こういった道徳観念のようなものを、態度に反映させるのは、意識してみると非常に大変な作業だと思う。結局は、今までの人生、人の楽しみを奪わないイコール人と適度な距離感を保つ、そのような結局は避ける方法論を好んで選択してきた。積極的に人の楽しみを奪わない方法、というのが難しい所作で、それを身体に徹底させるのが、思いのほか大変な労力を、初期動作的に、初めて使うような筋力を、その所作に割くこととなり、非常に神経的にも肉体的にも疲れる。</p>

<p>変な文章を書いているが、イメージを伝えたいだけで、具体的にどうこう言いたいわけではないので、輪郭の境界のようなものが伝われば、それで私が何か発言したい目的や欲望が達成される。</p>

<p>それとは直接関係ない例えだが、私と対話したければ、私を感心させるような人物か、もしくは、タイミングの絶妙さをもってしか、私は対話に応じないような人物であることは、このブログやツイッターとかでの言動の雰囲気で、その意味は感覚的にご理解いただける類のものではあると思う。正直、私は対話相手に向いていないので、全くそのような獲物に選ばれたくないし、獲物にされているとしか思っていない面がある。</p>

<p>とにかく、この考えの方向性で、集中して一つのテーマとして考えると、なんだろう、よく分からないしか言えない。リアル、ネット、二つの人生があるとしても、ネットだと濃いコミュニケーションが可能だ、というわけでも、私の何となくの希望を込めた予想に反して、そのような訳もありえない。私ですら曖昧でぼやけたアイデンティティしか持っていないので、起点とする私ですらなんら濃くは無いのに、その私がどこに情報伝達などの点に濃さを求めるのか、意味が分からない。</p>

<p>リアルに救われる点、ネットで救われる点、ネットにおいて私が人の気持ちを傷つける点、リアルにおいて意図せず人の気持ちを傷つける点、リアルで人のちょっとした優しさに救われる点、リアルで人のあたりのよさに多少騙されている点、いろいろあると思うが、いろいろそれぞれある、と以外言い例えようもない。いろいろなツボを突かれて、ランダムな快楽を得て、立体的な現実認識力を養う、それが人生なのかもしれないし、近い未来にやってくる現実なのかもしれない。</p>

<p>この話の流れになると、「未来は今始まっている」と結論づけそうになった。いろいろな方向性で未来だか将来だかは始まっている。人生に閉塞感ばかりを感じていた年齢の頃でも、今も性格は変わらないが、別の言い方をすると、いろいろな感覚が衰えてきて、鈍くはなっていると思う。果てしない精神活動を行えていた若さ、を私はもう持ってはいない。話がだんだん逸れてきたが、現実は多元的に展開しているという現実認識能力が、私には人生全体で他人より劣っている。</p>

<p>どんどん話を逸らしていくとすると、私は私を売り込むことを今の人生まで全力で避けていたし、そういった方向性に弱い性格だ。この弱さをそうしようこうしようという決意ではなく、「人の楽しみのひと時を邪魔しないように、謙虚になろう」とは決意徹底しようとは思うが、その逆の立場の人物に憎しみを向ける、という意味でもないし、そのような決意徹底している人物を愛していこう、という意味合いでもない。人も人の行動も自然の一部だし自然そのものだから、自然環境を愛するように、人を愛そう、いつくしもう、とは切に思う。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2009/11/091102_172341.html</link>
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         <pubDate>Mon, 02 Nov 2009 17:23:41 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>一億総パリス・ヒルトン化時代</title>
         <description><![CDATA[<p>面接はまだ3度くらいしか受けてはいないし、全て落ちたが、まあなんだろ、3度の面接というか、数では計れない企業から受ける印象の蓄積みたいなものは芽生え始めたと思う。初めてまともに面接を受けた際に「最後に何か質問はありますか？」と聞かれてもありませんと答える以外、頭が回らなかったが、面接で質問された内容から顧みて、こういう人材を求めているんだろうな、というのは理解出来るし、そして、次回そういった質問をされたら、採用条件はどういったものになっているのか直接質問してみればいいわけだし、採用された後に任される通常業務を聞けばいい、と思った。</p>

<p>その程度の面接しか受けてはいないが、社員になるには車を持っているのが必須条件のようだ、との印象はあった。これは募集条件に載せていないことが多く、私には非常に困る条件だ。免許も車も持っていないし、その取得する金銭的にもそうだし、能力的にそんな器用な性格ではないので、働きながら免許を取得したり車を持ったりの手順が複雑すぎてその余分なタスクをこなせないと思う。</p>

<p>どう曖昧に書き記せばイメージが伝わるのか分からないが、印象として、派遣やアルバイトは大量に雇って通常業務の部分を任せ、社員はその管理をごく少数が執り行うという印象を受けた。最近はそのようになっているようだ。働いていないので、実際のところは知りようが無いが、世間から何年か隠遁している間に世の中が大きく変わったようで驚いた。</p>

<p>他にもいろいろ書けるとは思うがここで変な邪推を挿入すれば、安定した雇用形態で勤めている人たちというのは、私からすれば富豪がボランティア的に自費持ち出しで安い仕事に就いている、という世の中にいつのまにか変遷していたようだ。この辺を長々膨らませることも可能だが、まあそういう風に私には思える。日本人の大半がパリス・ヒルトン化しているようにしか私には思えない。そのような絶望感で、これ以上言葉を重ねる気力が失せる。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2009/10/091015_134836.html</link>
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         <pubDate>Thu, 15 Oct 2009 13:48:36 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>面接当日に面接に落ちた。</title>
         <description><![CDATA[<p>まともに面接受けたのは人生で2度目のようなもので、圧迫面接がどのようなものか分からないが、履歴書の空白期間を徹底的に掘り下げるように具体的に答えるまで聞かれた。そして、その場で履歴書を返された。こちらも少し食い下がってみたが、そこまでして働きたいような職場や面接担当者である上司の雰囲気ではなかったので、程ほどにしといた。履歴書の空白期間も、インターネットを持っていなかった時期の方を聞かれたので、少々予想していなかったので、答えに困ったし、何とか言葉を探して答えたが、とにかくなんだろう、誘導尋問的にあなたは探している人材じゃない、という結論になった。後は同情のようなものをされてウザかった。そこに漬け込めよ、という前振りなのか何なのか、変に同情された。遺恨を残さない為の手口だと思うが、事実はどうかは分からない。</p>

<p>とにかく、言い返す余地はたくさんあった。それをした方が良かったのかどうかは、知らない。もう少し、自分を強引に印象付けることをした方が良かったのか、逆効果だったのかは、試してみなかったので分かりようもない。</p>

<p>とにかく、面接に落ちると全人生を否定された気分がある。これを何十社も繰り返す自信が持てない。しかし、その道しか残されていない。この何度も間違いなく落ちるのに受け続ける徒労のおかげで、相当以上にストレスを溜め込んだ人格にこれからは今以上に成りそうで怖い。</p>

<p>しかし、何だろうと思う？ ただ、望みのない面接遊びをしているようなものではないか、と今日は落ち込んで大きな川を見ていた。比喩ではなく、大きな川の傍の堤防兼散策道や座れるようにや降りれるように大きく階段状になっている場所に腰掛けて、少し時間を過ごした。特にショックではなく、事前の書類選考がない時点でこのような面接になることは、負け惜しみではなく充分予想していた。事前の書類選考で落とすような向こう側の疑問点で、今日の面接に落ちた理由だからだ。とにかく応募者全員と会って見る、というような経営者タイプのエネルギッシュな中年男性だかで、私にはそれは計画性の無さや将来性の無さにしか判断できなかった。この当人に、何らかの媚を売らなければ、気に入られなければ就職口にありつけないのか、としか思えなかった。</p>

<p>とにかく、何の成果も延々得られそうも無い面接遊びのようなことは、見切りをつけなければ、と今日は深く思わされた。逆に考えれば、このような面接遊びで、面接スキルが多少底上げ的にアップしての、希望がそこにあるのかもしれないが、そこにたどり着くにはこの面接遊びを死ぬほど大量に続けなければならない。</p>

<p>見切りを早めにつけるべきか、もっと面接で遊ぶべきなのか、その判断が私には出来ない。そして、たった2度の面接に落ちたくらいで、こうもブログを書いている自分が、この上なく無能な人間なんだと、激しく自覚させられる。</p>

<p>可能性としては、もっと世界を見る為に、面接をもう何度も無謀な、分不相応ぎみな求人募集に応募してみようとは思っている。職場見学気分で面接の申し込みをしてみようと思っている。気持ちの落としどころとして、この結論がいちばん納得がいくように思える。実践版はたらくひとたち、そのような参加型人生番組。</p>

<p>ちなみに、郵送した履歴書の方の連絡はまだ全く来ない。それにしても、今日は台風の影響か、家を工事しているところばかりだったし、祭りも各地域一斉に開催されていて、爆竹を鳴らす子供ばかりがそこらじゅうに集まっていて、精神力を大きく消耗した。疲れてばかりいるし、人生に何の見返りも無い。今日もただただ、自信を大きく奪われる為に出掛けてきたようなものだったし。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sat, 10 Oct 2009 20:27:17 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>何も持っていない。</title>
         <description><![CDATA[<p>いろいろ嫌なことばかりある。その内、大きなトラブルに発展しそうな気もする。こういった無駄なことに私の人生のリソースを奪われるより、自分の人生を生きようと就職活動を行ってはいるけど、なかなか先に進まない。待つばかりの毎日だし、家でその前準備や海外ドラマや新作放送アニメを観て、人生への意気込みの整頓やら何らかの知識を蓄えたいとの考えから、今の無職人生を充分に生きているはずなのだが、何か私の方法論が間違っているのだろうか？ と否応なく思わされる。</p>

<p>家に居ても何も集中できないし、家に居るってだけで、馬鹿なトラブルにも巻き込まれる。私が何か、逮捕されるようなことになるか、裁判になるようなことになれば、明らかにブログへも影響してくると思われる。そこまでは発展しないだろうが、とにかく、いろいろと住んでいるというだけで疲れる。</p>

<p>職歴なし30代半ばが近い、それでさえも働き口が見つかったとして、人生全体がイメージしにくい。何を目的に人生を生きているのか？ 自分が全く分からないし、見えてこない。何か、はっきりと、今までの無職人生がプラスに働いている部分が、私の人生に私が見出せたら、こんなに怒りを持ったりすることもないし、人生全体が不安になったりもなく、心が乱されずに映像作品の物語を大量に観進められる。</p>

<p>とにかく、私にも人生や性格的にその大部分としての良い所がない訳でもないだろう。しかし、それは言語化しにくい形であるのも、間違いないだろう。そう仮定すると、何か人生としての大きな拠り所や立ち位置になる。しかし、私の人生とは何だろうか？ そして、人生の意味を問おうとしているからこそ、自分の人生に心理的なマイナス作用が生じるのも、理解しているつもりではいる。</p>

<p>人生の意味なんか問うものじゃないのだろう。人生は問わずに、少しずつ経年的に否応なく規定され続けていく運動なのかもしれない。しかし、私のように何も持っていない人も、普段は見えないだけで、そういった人たちが少数派ともいえず、過半数は割合的にはそういった人たちなのだろう、とも想像力の点から論理的に補完できもする。</p>

<p>見えない人は見えず、目立つ人は自己主張の手段に長けている。私が良くも悪くも後者のように分類されてしまう場面もあろうが、そんなことはないだろう。誰もが、物語を持っている。誰もが誰かにその物語を聞かせ、共有する。私にはその場がここの「hikikomori.in」とブラウザのアドレスバーに直にタイピングした場所にしか存在しない。誰もがどこかに、何か自分が主役になれる場所を持っている。</p>

<p>しかし、私の場合それだけではいかないだろう。人生の意味を問う作業に戻るとすると、なんだろう、とにかく、私は何も交換して生きてこなかった。自分の持っているものを交換やそれに伴うコミュニケーションを図ることで、自分が形成されていく。私は何者でもないし、これから先も何者にも成れそうもない。そして、この先、自分の人生を生きられるのかどうかでさえの自信や見通しが微塵もない。</p>]]></description>
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         <pubDate>Tue, 06 Oct 2009 19:46:55 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>同性婚について</title>
         <description><![CDATA[<p>同性同士の結婚を認めるのが社会的に難しい問題なのは、夫婦でいて一方が主婦でいたり、主婦でありつつ扶養控除内で働くとかの意味が私には現時点で全く分かってないが、とにかく、結婚することで社会保障制度的に得がある。私は社会保障性度についての意味も分かってないで書いているが、主に働く夫婦の夫が死んだ場合の遺族年金の行方とかも含まれる。独身の成人男性が死んだ場合、金銭的に支払われないものというのもあるはず。この辺を同性婚に適応したら、好き合ってもないのに同性同士で結婚したい貧困層とか出てくるのだろう。</p>

<p>それと、子供の問題。もちろんのこと、同性同士では生殖不可能だ。片方の遺伝子を持った子供を人工授精で2人もうける方法もあるだろう。親の無い子供や子供の親権を法的に放棄したい人というのは、キリスト教が根付いている国で、中絶が悪とされる傾向が強い世論の国家気質の国などは、社会制度的にその事態を想定されやすくなっていて、実質受け皿も広い。とにかく、そうでもない国でも産まれた子供を経済的に育てられない層や、生殖機能の不具合的に妊娠しない夫婦で子供を欲しがっている夫婦も多いだろう。同性同士が結婚可能になると、結婚率が増え、そういった方向性では社会として有益だろう。</p>

<p>逆に、同性同士の結婚を法律で認め、子供の親権を与えるとすると、同性愛者でなくても子供を欲しがるある層が当然予想される。小児性愛者の同性同士が結婚して、子供を持つ危険性が出てくる。</p>

<p>そんな感じで大きくは2点ほど、同性婚を法律では認められない背景や問題点となっている。結局は、こういった問題だと私には見受けられた。まあ、一部の州で同性婚が認められているアメリカの映画やドラマを観ていてだが。同性愛差別からではなく、社会的な問題点や同性愛婚の愛の形を審査する国の手間が掛かるから、同性婚は実現が難しいとされている。</p>

<p>それと、日本では、同性愛者同士が結婚する、もしくは、家族になる方法として、昔から、一方が一方を養子にもらう、という方法が取られている、と聞いたことがある。ソースは、水野晴郎関連のゴシップ記事だかネット上の噂だかか、日本文学か小説家のエッセイから得た知識だかか、はっきりしないが、そういった通例が昔からあるようだ。</p>]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 03 Oct 2009 00:48:51 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>履歴書郵送スキルの獲得。</title>
         <description><![CDATA[<p>私は何を毎日しているんだろう？ 24時間全て自分の自由になる時間だというのに、特には毎日何もしていないし、何も出来ない。就職活動らしきものを去年から始めてはいるが、リーマンショック以降は求人数が激減して、選択肢が全く自由の利かないものになったのもある。去年は、トライアル雇用に注目して、ハローワークに細々通うつもりではいた。しかし、もうトライアル雇用の求人は、特に私のような自動車免許を持っていない者用の、全く求人募集がない。応募条件で、自動車免許保持者なら、まだ一つ二つ程度なら見つかるのかもしれないが、とにかく、私の地域では今ではトライアル雇用は機能していない状況だ。</p>

<p>どちらにしろ、状況の大きな変化はあったが、現実として、私のような職歴に大きな休職期間のある者や、職歴なしの者を、とりあえずでも雇うような求人募集は、リーマンショック以前でも無かったのかもしれない。何かしら現在働いていて求人応募するのが賢明な唯一の手段なのだろう。日雇い派遣のような職を、週一日でもやって、職歴には継続して働いているように記すのも手なのかもしれない。職歴の仕事の内容にすいては、事細かに聞かれもしないような気もする。面接の時間だって限られているのだろうし、広くいろいろ質問されるのだろうし、大まかな職歴が知りたいだけだろう。職歴についての質問は、私のようなレベルの求職者は、その程度で済むのだろう。</p>

<p>とにかく、いろいろやっているつもりなのに、それに、間違いなく大きく自分の時間が求職活動に関連した活動時間に持っていかれているのは事実で間違いない。時間の使い方の効率が悪すぎるのもあるかもしれないが、生活が安定していないのもあるだろう。外に出るということに対して、生活スタイルが定まっていない。室内着で外に出て、歩いて近所まで面接に出掛ける訳にはいかない。生活の立て直し、も人生の再復帰に、私のような者は重大な要素で、切り離せない問題だ。長年碌な生活を送っていないので、生活者からは程遠いどころか、全くの無の状態から再び生活について考えなければならなかった。</p>

<p>とにかく、ブログを書く精神的余裕も持てない精神状態で、頭を休ませたい。ネットの求人サイトから、「気軽にお電話下さい」と書いてある求人募集ばかりなのでそのようにまず、Webフォームから連絡する前に電話連絡をしたら、このネットの時代でさえ、結局先に履歴書を郵送して下さいと指示される。履歴書はメールに履歴書.pdfを添付する形で充分じゃねえか、という怒りや拘りのようなものはこの際捨て去り、履歴書郵送の事態に備えて、今後の為にも、何か解決策を練ってばかりいた。いろいろ検索したり、イメージを練ったり、実際に作業したのは半日程度の労力なのかもしれないが、履歴書郵送のイメージが固まるまで、何日も掛かった。</p>

<p>具体的にどのようなサイトを利用したかについては、そこまでまとめて提示する気力が今はない。とにかく、A4用の封筒や細いスティクのり、クリップ、その程度は買い揃えてきたり、ただ無言というより何のコメント無しで履歴書のみを送りつける訳にもいかず、「履歴書郵送」とかを手始めに、文面について調べた。履歴書をパソコンで作成する方法は前回で学んだし、志望動機と作成日だけを変更するだけで完成する。まあ、志望動機を考えるのも、大きな精神的負担にはなった。</p>

<p>とにかく、結局は、OpenOffice.org Writerで履歴書郵送時に添える添え状を作成しなければならなくなった。エクセルもワードも使ったことも学んだこともない身で、簡単なビジネス文書作成入門みたいな「itpro.nikkeibp.co.jp」のページをほんのさわりの部分だけ学んで、仕上げた。使った機能、Writerの右揃えとか左揃えとか中央揃えとかを使うだけで、添え状だか送り状だかは完成した。もっと大きな問題だったのは、封筒部分の宛名と自分の住所などを裏に書かなければならないこと。これもパソコンで作成したかった。</p>

<p>実際にそのパソコンで書いた宛名書きを切って貼った訳だが、満足の行く形までは完成度が行かなかった。OpenOffice.org Writerでウンドウズを初めて何の前知識もなく直感で操作したような感じで表のような段組を適当なサイズに作って、中に住所や会社名や担当者様とかを書き入れる。悩んだのは「履歴書在中」の赤文字をどうしようかと思ったこと。悩んだ過程はここでは記述しないが、結局、宛名ラベルの中に記述しようとイメージした。履歴書在中だけ、括弧などで囲わず、余裕を持たせて一行改行して空白を作り、太文字で赤く、フォントサイズなどはそのままで記入した。そんな感じで、履歴書等と同じ普通紙にセルを細い黒で指定して印刷した。その枠をハサミ切って、のりで貼り付けた。</p>

<p>紙が糊を付けると、水に弱い紙のような状態に軽くなるし、黒い枠線も切り残しが目立って小汚い印象だし、失敗したな、と思った。まあ、今後の課題はそれのみだろう。まあ、そのような無職の履歴書作成の事務仕事用にカッターを買ってきて、モノサシをあてて、枠線が残らないようにカットすれば、まあそれで一応の完成形のレベルと言える、自分の心理的に満足の行く形かもしれない。今日やったことを、少しずつ洗練させて行けばいいのかもしれない。</p>

<p>一つの形を何の知識もないところから、完成形まで持ってくる。それはそれで楽しいことなのかもしれない。達成感も味わえたのかもしれない。何らかの快楽や達成感があったのかもしれないが、何時間も頭を使って作業した上に、この程度の仕事という、人生に対する失望感しか感じてはいないのも確かだし、その前に、ブログを書くという頭の使い方で、さらに精神力を消耗している。繰り返しイメージしてイメージを固めてブログを書くという書き方をしているので、何か完成されたブログ技術ではないので、毎回精神力を大きく消耗する。こんなことばかりしていると、自分の時間というものが持てない。果たして、自分の時間が存在するのか、と自問するならば、結局は就職した先からやっと自分が始まる、のかもしれないし、やはり、文章が途中になったがばっさり切り捨てて、そのまま強引に終わらせる。</p>]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Thu, 01 Oct 2009 12:29:04 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>浅漬けの失敗や塩分についての日記。</title>
         <description><![CDATA[<p>今、誰かが買って来た、「Suntory Cocktail カロリ。 カシス オレンジ」一本をいい感じでちびちび飲んでいるが、割らずにポットボトル安焼酎を飲んでも酔えないのに、何でこんなに酔えるんだろうか、不思議でならない。アルコール分3パーセントとか、酒としては笑える感じなのに。同じく、ビールも異常に酔える。まあ、高くてペットボトル安焼酎しか買えない身分だが、同じようなものを飲んでいたら慣れると言う事かも知れない、単純に考えて。お酒は、最初に開封して、その初日くらい旨いと感じるが、次の日からは味にも味覚が慣れ、もうどうでもいいとなり、お酒に対する興味を失う。</p>

<p>大きめなピクルスの浅漬けの一本漬けにかぶりつく、シャキシャキした音に惹かれて、浅漬けが食べたいと思った。誰かが買って来た、野菜のラディッシュみたいな品種の、何かは正確には知ってないけど、一口大みたいなサイズの小さい大根みたいな野菜の浅漬けがあったので、夢中で一袋全て食べた。小さいサイズの野菜の一本漬けの浅漬けの旨さを、自分の力で達成したい、技術習得したい、そう思った。</p>

<p>まあ、結果失敗した。茄子を薄目に切って、味噌汁用のお椀みたいな安っぽい容器にまずは、薄めに水で薄めた醤油だけで、浸して数時間から半日放置してみたら、まったく味も浸透せず、生野菜のままで、生の茄子の味しかしなかった。ネット検索して、浅漬けの作り方を調べてみた。</p>

<p>水にさらしてあく抜き、とか、空気を抜いて真空にするとよく漬かるし早く漬かる、浅漬け用重石と食器のセット、とか、いろいろ作り方があるようだ。その辺は物資も無いし、面倒なのでスキップしてみた。塩揉みもスキップしてみた。塩分濃い目で、安い和風濃縮だし汁のようなものと、七味、で同じくラップして冷蔵庫に2日程置いたら、食べられるレベルの最低限のものは出来たが、塩辛過ぎし、塩辛いのもあるし、唐辛子の辛さもあるし、からいだけの生野菜が出来上がった。</p>

<p>その程度の挑戦で止めた。あと、液体に浮くような茄子ではなく、人参も同じく薄目だか厚めだか分からない幅に切って、これは沈む食材だから、重しが無くても何とかなるだろうと思ったので、追加した。</p>

<p>どちらにしろ、この方法だと時間が掛かるし、とにかく、何回か試行錯誤しようという気に成って来ない。味が浸透しやすいように、あく抜きを兼ねて、水で煮て、お湯で塩を溶いて、自分流の浅漬けに到達しようか、とか試行錯誤の余地はあるのだろうが、何かもう気が乗らない。塩辛いし、唐辛子も同じ方向性で辛く、軽く柚子のような風味がある、訳の分からない醤油だし味の生野菜を、もう一度食べたくは無い気持ちが、自分の中で勝る。</p>

<p>それに、何時間も変に時間を取る料理法も好みではない。いつもは、家にある野菜を水煮して、インスタント味噌汁に入れて、野菜の栄養分を取っている。家でしか食事しないし、自分で作ったものしか食べられないので、食生活が単調に成りやすい。そんな理由からも、浅漬けに注目してみた。</p>

<p>それと、減塩ブームとかで、塩分を摂取する機会が現代人は少ないと思う。私の習慣的な慢性頭痛の原因は、どうも塩分不足の時のようだ。昔は、定期的に塩辛いものが大量に食べたくなった。今は、食べられる物が私の好みの面からではなく、冷蔵庫のリソースが限られていて、外に食べに出掛けることも皆無だし、何々が食べたいから買ってきてとリクエストすることも出来ないし、まして、自分のお金から食材を買って来ることも金銭的に出来ない。</p>

<p>敵に塩を贈る、などという諺があると思う。最近やっとその意味が理解出来るようになったと思う。塩を一切使わないで料理を作り、それだけを食べ、水分を異常にたくさん摂る生活を長年続けていると、私の体調が分かってもらえると思う。塩分は重要だという確信が、身体で理解出来ると思う。かつては、その諺について、意味は理解できたが半信半疑だった。塩を贈るのはどちらかというと嫌がらせの方なのではないか、砂糖を大量に贈った方が、より喜ばれるのではなかろうか？ そういう疑問が払拭できなかった。しかし、話は昔のこと。私のような生活を続けていると、どうしても、塩分が身体に不足する。塩田を持っている者が、権力や発言力を持つのも、物資が少ない世界だからだろう。物資が限られた状況での、命綱が塩なのだろう。これも、食糧供給が途絶えた現代社会の海外ドラマを観たからの知識でもある。</p>

<p>もうおっさんなので、いろいろな栄養素をバランスよく摂りたいと最近は切に思う。中学生とかの頃は、小遣いからチョコバーのようなものを買うのが、生活の楽しみだった。そのような時期の意味が分からない程、もう歳を取った。</p>]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 26 Sep 2009 15:38:27 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>私の老いの確定から、また人生を根底から考え直そうとは、しているところだ。</title>
         <description><![CDATA[<p>こんな年齢になるのに、アルバイトの仕事にも受からないし、人間生ゴミのような気分になる。何のスキルも経験も知識も全く無い。それに加え、年齢的に、社会との繋がりが全く見えなくなってきた。最近は、レンタルビデオ店が漫画も貸すようにシフトしていたようだし、そういうのはアルバイト求人募集要項を読んだりでその店舗のホームページを見て初めて気付いた。とにかく、私はそういった店と全く無関係の人生を構築してきた。そんな店、漫画喫茶とかアニメショップとかと、全く無縁だ。今の私の人生に何の関係性も見出せない。そんな場所に行くより、家でYouTubeとか観ている方を選んできたから、具体的にはそういった環境が家の中にあるから全くの無縁なのだ。</p>

<p>とにかく、働くとしたらそういったビジネス形態の店舗とかで働くことを検討する以外に、田舎に住む私が、とにかく、そういった方向性の選択肢しか残されていない。こういった店舗が存在する意義が私には分からない。定職定収入が成しえたら、多少はそういった店を利用する機会もあるかもしれないが、それはそれで、それらとはまた別の形でお金を消費する場所を見つけて来るだろうとしか思えない。この世の中、というより、この私が住む地域に私は全く居場所が無い。私とは全く無意味な商業形態ばかりが発展して行くばかりだし、もうすでに時代に取り残されたということを、仕事の面接に受からないということで体感させられ続けている。</p>

<p>まあでも、仕事の面接を受けてみる遊びもまだ始めたばかりだ。遊びというより、精神的に追い詰めないように、少し自分自身から切り離してやっている行為だ。</p>

<p>とにかく、私には何も無い。それに、性格的になのか、人格が破綻しているのか、どちらでもこの際どうでもいいが、私は分類されるのが好きじゃない。何者でもない者に、全人生費やしてどうやら私は成りたかったらしいし、現在でも多少はそうであろう。何をやっても何の成果も出せない人生だから、負け惜しみで言っている可能性が高いが、そうでない解釈を示せる自信もある。</p>

<p>現在は本当にいい時代だと思う。いろいろな考えを持った大人たちの思惑など入り込む余地のないぶれの少ない時代だと思う。他にどういったらいいのか分からないが、イデオロギーの入り込む余裕の無い時代とでも言い換えるべきか、社会構造の細分化が行き渡った時代とでも言うべきか、そんな感じの。しかし、私自身はあまりそういった恩恵に与れていない気もしているし、疎外感ばかりを感じる。私自身が、本当に生きていて無意味だと思う。未来に希望を持って生きるには、歳だけを重ね過ぎていることが否応無しにはっきりと今は理解出来る。</p>

<p>自分が何をしたいのかが、浮き彫りとなる形で理解出来るようになって来た、ということかもしれない。とはいえ、私は自分が何の目的を持って生きているのかが、全く分からない。変に成功して変に型に嵌って結果時代に取り残されるのを危険だと本能で感じ避けているのか、私の才能の成長の余力を正しい時期が来るまで先延ばしにしているのか、何なのか全く自分が読めない。そういったことを避けて何の得になるのか？ と、逆に自分に問いたい。そんな間違った人生だと確定したとの疑念が拭えない。</p>

<p>とにかく、もう老いてしまった。人生もこのようなものだというのが確定され、もうそうそう大きくは動かせない。動かしたくない方ではなく、固まってしまったものを動かせる余地が無いと感じる方の意味だ。私の老いの確定から、また人生を根底から考え直そうとは、しているところだ。</p>]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Tue, 22 Sep 2009 03:12:21 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>前回のアルバイトの面接結果は、落ちた。</title>
         <description><![CDATA[<p>前回の日記エントリは、自分で読み返しても酷かった。文章の抜けも多いように感じた。例えば、2ch元管理人・ひろゆき氏の有名なTV出演時のインタビューキャプチャ画像、「うそはうそであると見抜ける人でないと（掲示板を使うのは）難しい」のように、私のブログを読む読み方として、この発言のカッコ内のような前後の文脈から読み取っての脳内補正が必要なことだろう。後は、靴のサイズの話だが、0.5cmのサイズの購入間違いを書いている。いくらなんでも、神経質な性格の私でも、靴のサイズが0.5mm長いからといって気にしない。</p>

<p>とにかく、シルバーウィークとかだかで近所が騒がしくて集中できないだろうから、来週というより再来週からまた就職活動を再開しようと思う。前回書いたアルバイトの面接は、当然なららとでもいうべき、落ちてた。郵送での連絡があった。お金を本当に持っていないので、この送り返された履歴書の写真を剥がして再利用しようと思う。それにしても、履歴書をプリンタで印刷する場合に、証明写真も一緒に印刷しようとすると、不鮮明な写真にしかならないのは、予想外だった。もう一度再挑戦してみようと思ってはいる項目ではある。</p>

<p>昨日もアルバイトの面接を受けようと、ネットの求人募集を見て電話したんだが、まあ今日までは平日のようで、今日なら比較的集中できそうな環境だと思って、面接日としようと計画してみたのだが、とにかく、電話した感じが、私の相手方企業に持った印象が悪かった。一度10時過ぎに電話したが、24時間営業の店で、その他にもいろいろ複雑そうな事情が募集要項から読み取れたが、それについては詳細を私は書かないし、実際に電話してみての後から理解できた募集要項の印象だが、とにかく、担当者がいないのでと長時間後に電話するように言われた。それでどうしようかと思ったが、言われた通りにその時間帯まで待って再度電話したところ、結局先に履歴書を郵送しろ、と言われた。この私の時間の無駄にされた体験に、脱力した。</p>

<p>とにかく、世の中にはいろいろあるだろう。電話した印象で、相手先の企業の計画性の無さや行き当たりばったりさ加減を実際に体感したり、とにかく、そんな感じで、応募する側として、見切りをつけなければならないこともあるだろうという、そういった視点や心構えという立場に立たされることがあることを知った。こういった想像力が私にはいままで欠けていた。とにかく、人員募集をしていてさえも、相手方企業にやる気のない場面もあるということを知った。やる気がないというより、もっと細分化された理解も書けるかもしれないが、結局はそういうことだろう。</p>

<p>後は、せっかく私が履歴書をパソコンで作れるようになったので、その力を示したい欲求も、間違いなく存在する。それはつまり、履歴書がいらないような求人募集を避けていることにも繋がる。こういったところは、簡単に先着順で受かるだろうと思っているから、私でも受かりそうだ。実際にエントリーしてみないと実際もそうなのかは分からないが、とにかく、私がが出来る力を無意味に示したい欲求も、何度かは示したいし、力への欲求を抑えることができないような就職活動でもあるから、余計な欲望が付随してきて、身軽ではないのも確かだ。それくらいのセルフエンターテイメントの余地があってもいいと、今の段階では考えているが、本当にそんな遊んでいないで、今すぐ就職して、転職するなりするのが懸命だろう後が無い年齢であるのも間違いない。</p>

<p>いろいろまだ書き足りないが、次回以降に気が向いたら続きのようなものを書く。というより、全てのブログエントリが続き回のようなものだ。</p>]]></description>
         <link>http://hikikomori.in/2009/09/090918_110408.html</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Fri, 18 Sep 2009 11:04:08 +0900</pubDate>
      </item>
      
      <item>
         <title>人生初とも言える、アルバイトの面接に行って来た。</title>
         <description><![CDATA[<p>いろいろと準備不足で、面接時間ギリギリに着いた感じにもなってしまったが、アルバイトの面接を一社受けてみた。今は結果待ちの状態だが、実際の職場の雰囲気に触れてや仕事の内容等、受かれば間違いなく最高に嬉しいレベルの求人募集や応募だった。面接で、積極的な発言も熱意のアピールもできなかったし、しなかったが、面接担当者に与える印象というより、何を書こうとしているのか分からなくなってきたが、とにかく、変に熱く先走った返答や態度を取るより、受身に徹して簡潔に返答する方を面接を受ける態度として選択した。話が盛り上がりそうな箇所はもっと話を広げれば良かったのかもしれないと反省しもした。</p>

<p>よくよく考えれば、人生で初めてまともに履歴書を作成して、仕事を選んで、自分の出来そうなことを考えて、その仕事で得られる知識や経験や将来性なども考慮したし、合否などの結果ではなく、面接を受けたこと自体が、私の人生にとって誇れる行動であったと思う。他人に自慢できる、もしくは、他人に気軽に話せる話のネタでもなんでもないし、まして、ネットで事細かく記述して公に晒せるような日記ネタでもライフハックでも人生経験でもないが。ただ、いろいろな方向性で心のメーターを振り切れば、いろいろな書き方が出来るネタに加工することも可能だろうが。</p>

<p>こういったことが成しえたのは、パソコンを持って、ケータイを持って、プリンタを持って、無制限のインターネット環境があって、その他のそういった種類の機材があってこそ成し得たものである。あとは、ひきこもった間に蓄えた知識の貢献度もある。結局はインターネットに救われているようなものだし、インターネットがあってこそのこういったアルバイトの面接を受けるという積極的な行動であるのも確かだ。私のような者は、インターネットがないと何も出来ない。そして、その解釈を少し拡大してみて、他の求人応募者より、知識の引き出し方が上手だろうと自分の強みとして解釈してみた。面接官からどのような評価を受けるのかは、私は分からない。とにかく、そういった自己解釈を仮説として立ててみた程度のことを言っている。</p>

<p>面接を受けてみて思ったのだが、というより、過去に何回かは面接を受けたことはある。どれもやる気もなかったし、職歴なしや資格なしの記述で提出したし、志望動機も空欄だった。今回も本人の希望を書く欄は、そちらの都合に合わせるというような定型文を書き入れた単純なものだったが、志望動機はTiwtterのWebからの投稿欄程度の文字数しか書き入れられない程度の欄だったが、頭を捻って内容や文章を練ったし、だらだら表現すると入りきらない程度のしょぼい欄だったので、意味を損なわずに文章を削ったりして努めた。</p>

<p>他にも苦労した点は多い。こういった側面でなく、生活という側面でだ。綺麗な靴を持ってなかったので、ホームセンター的な所で千円程度の靴を2足買った。そして、面接当日に履いて、サイズの選択と、靴底の低さの2点で失敗したと気付いた。靴底が低いものだと、ズボンの裾が地面に着く形になるし、裾を踏んで転びそうだ。靴のサイズの方は、0.5mm大きいものを選んでしまった。まあ、この程度は気にするべきだし、大人として完璧に整えるべきだが、長い時間を掛けて揃えていく類の生活上の課題の方かもしれない。こういったことをサボったり後回しにすると、私みたいな人間になる。もっと細かいことを言えば、というより、今思い浮かんだ以上の大小の生活上の悩みはたくさんある。書くのが面倒なので飛ばす。</p>

<p>とにかく、また面接を受けたりしなければならなくなった場合もそうだし、働けるとなった場合も、ホームセンターや100円ショップやユニクロや作業服専門店などを回って、靴や下着やそんな感じに主に衣料の面などで最低限は揃える必要がある。主な悩みは衣料の面で初期資金的なお金が掛かることだろう。後は見逃せないコストが、証明写真だろう。パソコンで履歴書を作っていて、面接の数時間前のことだったけど、パソコンで履歴書を作っても、証明写真は結局は現物を貼らなければいけないことにやっと気付いた。フォトコピー機能を使ったりなんだりすればいけるのかもしれないが、撮った証明写真をコピーするのも質が悪くなりそうだし、避けたい。普通紙にスキャンした写真を文書と一緒に出力するのは、鮮明な画像が印刷できないようだ。二次元画像とか、A4サイズになるがポスター目的とかで印刷した経験すらないが、どの程度の印刷精度の機材を所持しているのか試してもいないし、面倒なのでこの辺は試したりすることはしないかもしれない。とにかく、証明写真は現物がその都度必要なコストとなる。</p>

<p>今の悩みはこういったところか。蒸し返せば、かつて試行錯誤した悩みも合わせて書き出せるが、今はこんな所にいるということだろうか。そして、このように悩み考えてばかりいるので、働くことになっても考えることばかりが増えていく性格ばかりは変えようが無い。この辺のストレスが、脳内快楽物質で乗り越えられるような仕事内容や精神的報酬の見返りがあるような仕事に就きたい。</p>]]></description>
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         <pubDate>Sun, 13 Sep 2009 18:02:28 +0900</pubDate>
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